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チャップリンの芸のアイデアはひときわ冴え渡っている。チャップリンのコメディの基本中の基本となる「悲惨な生活の喜劇化」を、今回は塹壕の兵士たちの一日を通して描いてみせた。ビールの栓を流れ弾を利用して開けるなど、これほど見事に戦争を戯画化してみせた映画はかつてなかった。 |
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チャーリーと5歳の孤児の親子愛を描いたドラマ。 |
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あったようで無かったチャップリン唯一の西部劇である。保安官、駅、賭博場、荒くれ者、撃ち合い、といった西部劇らしいモチーフと、古びた町並みの雰囲気が、他の作品にはないちょっとした見どころである。 |
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芸術に理解のない映画会社に嫌気がさしたチャップリンは、1919年、自由な作風で映画を作ることを目的とした映画会社ユナイテッド・アーチスツ社を設立する。 |
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チャップリン流の映画の作り方とは、きちんとしたシナリオを用意せず、頭の中のアイデアをひとつずつ映像にしていき、最後にそれを一本のストーリーにまとめるというものであった。チャップリンは実に「モダン・タイムス」までそのやり方で映画を作ってきた。仕事を何もかも自分一人でこなす彼だからできた芸当であった。 「黄金狂時代」は、その作り方だからできた傑作である。随所に見られるパントマイムは、先にシナリオがあっては生まれなかっただろう。「飢えのあまり自分のクツを食べる」「山小屋が吹雪に吹き飛ばされる」など、断片的にシーンを発想していき、工夫して組み立てていく。どちらかといえばストーリーは芸を見せるために作られた感じで、見てもらうべきものは何よりもチャップリンの個々の演技である。芸のひとつひとつが若々しく、即興的な面白さがある。ギャグの数でいえば本作は群を抜いており、彼の俳優としてのユーモア&ペーソスの最高峰を示す一本といってよい。初登場のシーン、見るからに危なっかしい崖っぷちをのこのこ歩きながら、ここでチャップリンはほんの一瞬転落しそうな素振りを見せる。この何気ないプラスアルファの演技がチャップリンの芸の醍醐味なのである。 42年には自身のナレーションと音楽を加えて大幅に改変してしまったが、改変版は説明が多すぎるために観客の想像力が膨らまず、映像の魔力が半減した嫌いがある。しかしチャップリンがいったいどういう意図をもって各場面を演出していたのかを詳しいところまで知ることができ、また違った意味で興味深い。もっと詳しく |
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30歳を過ぎてからのチャップリンの演技は、ストーリーに付随して自然と動いているように見える。 |
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自分で納得いくまで何度も撮り直すという徹底したスタンスで、トーキー隆盛の時代にあえてサイレントで挑み、チャップリンの完璧主義者ぶりをマスコミに認識させた作品である。 |
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この作品からチャップリンはおなじみの浮浪者の人格を捨てた。昔と同じ衣装を着てはいるが、明らかにそれは別人物であり、作品そのものも作風からガラリと変わっている。 |
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Music: "Overture" |
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スケールはとにかく大きい。チャップリンの映画では最もボリュームのある作品で、迫力のある娯楽大作に仕上がっている。何よりもスクリプトの圧倒的な力強さには感嘆せずにはおれない。 |
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Music: "A Paris Boulevard" |
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これはチャップリンの新境地である。自ら「殺人の喜劇」と銘打ち、殺人をビジネスと考えた一人の中年紳士の半生を、叙事詩的に描いた。 |
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40年以上もコメディアンとして活躍してきたチャップリンが、ついに来るところまで来たという感じである。老コメディアンが自殺をくわだてたバレリーナに生きる勇気を与えるという献身的な姿勢は、他のチャップリン映画に通じるが、ただし本作はそれまでの作品とは性格が異なる。舞台は初めて故郷ロンドンに設定しており、チャップリンは素顔に近い顔で出演。後半からはまったく立場が逆転して、チャップリンが尽くされる側に回るのである。いうなれば本作はチャップリンの喜劇役者としての心情を吐露した作品であり、彼のヒューマニズムの集大成になっている。 |
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Music:"Weeping Willows" |
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それまでのチャップリンの映画は、舞台となる地域も主人公の国籍も大して重要なことではなかった。イギリス人であるチャップリンは、アメリカに30年居座りながらも市民権を取ろうとせず、自分のことを無国籍人間だと言っていたのである。本作は、そんなチャップリンが初めてアメリカを意識した作品である。ただしこれはアメリカ映画ではない。アメリカに対するアンチテーゼである。 |
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この映画を発表した年、チャップリンは78歳になっていた。25歳で監督デビューしてから、キャリアは実に53年である。53年も映画を作り続けた監督はチャップリンしかおらず、これは世界記録である。しかもこの後にも自作の古い作品に音楽と自分の歌をつけて再編集してリバイバル公開するなど、音楽家兼プロデューサーとしての活動は続けており、新作の企画も映画化目前まで進んでいたのである。「私にとって映画を作ることは生きることと同じだ。私は生きたい」と晩年も語っていた。チャップリンは人生のすべてを映画に捧げた真の映画作家だった。 |
(容量2.5MB) | ||||||||
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