マーロン・ブランド

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マーロン・ブランド  

 僕の最も尊敬する映画俳優である。20世紀最大の俳優であることは間違いなく、その後の若い役者達、俳優養成所などに多大なる影響を与えた役者界のドンである。もとは舞台出身の役者だったが、彼ほど「映画的な」演技を見せた俳優は映画界にはいなかった。映画には映画なりの演技がある。その演技法を確立させたパイオニアがブランドだった。
 「欲望という名の電車」(51)で彼が銀幕に登場したときには、その表情としぐさに大きな衝撃があったと当時の批評家たちは語っている。俳優がフレームインしただけで観客をアッと言わせたのは、それまでの映画の歴史にはなかったことである。このスタイルこそ内面的な演技を重要視するスタニラフスキーの「メソード演技」が最良の形で実現したものなのだろう。
 「欲望という名の電車」のブランドは素晴らしい。彼の表情はセリフよりも多くのものを語る。この気迫は、たしかにブランドだけにしか出せないものである。デ・ニーロ、J・デップといった彼の後継者たちが数多く生まれたが、誰も「欲望という名の電車」のブランドに到達することはできなかった。ブランドだけがずば抜けて優れていたのである。

 ブランドは、チャレンジャー精神旺盛であった。彼の出演作品を見てみると、短期間の間に様々な役柄に挑戦していることがわかる。作品によってブランドの顔はまるで違うのである。「革命児サパタ」(51)でヒスパニック系のメイクで登場して観客を驚かせ、続く「乱暴者」(53)ではアンチ・ヒーローを演じて若い世代に共感を与えた。かと思うと「デジレ」(54)ではナポレオンに扮し、「八月十五夜の茶屋」(56)ではなんと日本人を演じた。50年代だけでもシリアス、コメディ、ミュージカル、歴史劇と実に多彩であった。そんな彼だからこそセンセーショナルな「ラストタンゴ・イン・パリ」(72)の難役に挑めたのであり、「地獄の黙示録」(79)をあそこまで神格化することができたのである。あの「スーパーマン」(78)にも出たのだから、役にかける意気込みが違う。実力者でありながら、人気スターであり、「スーパーマン」の頃は世界で最も出演料の高い俳優としてギネスブックに記録された。それでいてブランドはノーギャラで映画に友情出演することもしばしばあったのである。

 アカデミー賞は二度受賞しているが(作品名は書かなくてもわかっていると思うが)、後年の一本は拒否している。受賞拒否をした俳優は、アカデミー賞の歴史において今のところ彼をいれて二人だけしかいない。「私はすべてに反抗している」といったブランドらしい。

 だいぶ前だが、息子が娘の恋人を殺すという事件もあった。これだけ偉大になると、スキャンダルが多くなってくるのも仕方のないことかもしれない。78歳にもなって元愛人に訴えられ、1億ドルの損害賠償を求められたり、よく世間を騒がせてくれた大物だった。2004年、「ゴッドファーザー」(72)のリマスター版が公開されるが、上映期間中に惜しまれつつ息を引き取った。最後の作品は「スコア」(01)。

 

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