チャップリン

チャップリンの作品

チャップリンが製作した短編映画
16年 替え玉
16年 消防夫
16年 放浪者
16年 大酔
16年 伯爵
16年 番頭
16年 舞台裏
16年 スケート
17年 勇敢
17年 霊泉
17年 移民
17年 冒険
18年 犬の生活

18年 公債

19年 サンニー・サイド
19年 一日の行楽
21年 ノラクラ
22年 給料日

チャップリンが製作した中編映画
18年 担へ銃
20年 キッド
23年 偽牧師

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チャーリー・チャップリン  

 チャップリンは偉大である。24歳で映画界に俳優として進出し、1年たたぬうちに世界一のスターになった。デビュー当時の映画はどれも10分程度だが、そういう時代だったので、仕方がない。デビュー作品「成功争ひ」(14)はいかにも腹黒そうなシルクハット姿のペテン師役で、ただ暴れているだけだが、ストーリーは意外と深い。今見てみると難解に思えるほど凝っている。「この人は人気者になる」と書いた新聞もあったという。

  最初の1年でチャップリンは35本の作品に出た。すでにこのときから自作自演であったが、まだ自分で全部を監督したわけではなく、いくつかは他人に監督の座を奪われている。映画史上初の長編コメディ「醜女の深情」(14)は、マック・セネットが監督。チャップリンといえば自作自演が鉄則なので、他人が監督した作品では、やっぱりどうしても演出されているという実感がわかない。他人の監督作品では衝突が多かったというが、どのように演出されていたのやら。翌年からチャップリンは自分の作品の全てを自分で監督することになる。

 昔は割とこわおもてのメイクアップが多かったが、ほとんどの役は例のチョビ髭の浮浪者のスタイルで演じている。中には女装して主演した作品もあった。「タンゴのもつれ」(14)は彼の映画人生で唯一素顔で出演した作品である。原始時代ものやカーチェイスものなど、色々あった。酔いどれ役が多いことから、日本ではアルコール先生というあだ名で親しまれた。

 チャップリンの初期作品は、意味もなく暴れているだけで、今見ると古すぎて少しも笑えないが、作品を経るごとにだんだんと芸域が広がっていくのが観察できる。発表する新作は決まって前の作品よりも面白かった。デビュー1年後に発表した「失恋」(15)、「掃除番」(15)は名作の誉れが高い。「カルメン」(15)は短編のつもりで作ったのだが、彼自身のプロデュースでないために、勝手に倍の長さに編集され、彼にとって最初の中編映画となってしまった。出来がひどかったので、チャップリンはその翌月からは全ての作品を自らプロデュースするようになる。この時チャップリンは26歳。青年実業家というわけだ。会社側からも文句を言われず、一人芝居の「大酔」(16)など、自由に自己表現ができるようになり、彼の映画はますます磨きがかかっていく。「勇敢」(16)ではT字路のセットが印象的だったが、それ以後、T字路はチャップリン映画における大切な象徴記号となる。17年は絶頂期といってもいいほど出来が良く、チャップリン20代のベストムービー「移民」、史上最高の追っかけ劇「冒険」などが生まれた。18年には「公債」という社会的な宣伝映画も撮ったが、これはまるでアート映画といった感じだった。

 長編映画は10本しかないので、作るのが遅いといわれるのも無理はないが、しかしチャップリンは24歳から30歳までの間に67本の映画に出ているのである。短編ばかりだが、これは長編に換算すると20本ものボリュームである。このスピードは驚異的である。
 彼の偉大さは、長編を作るようになっても、まだなおチョビ髭の扮装で出演していたことにある。彼の作品81本の内の80本がコメディ映画というのも大変なことだ(コメディじゃない1本は最初に「これはコメディではありません」とわざわざ注意を書いたほど)。シリーズものでもないのに、こんなにひとつの人物、ひとつのジャンルにこだわりつづけた映画作家は他にはいない。定着しすぎたので、このチョビ髭こそチャップリンの素顔だと思っている人も多いのである。
 本当は、若白髪で瞳は青かった。ハリウッド一のハンサムと言われていたのに、映画の中では必ず素顔を隠していた。そこがまたチャップリンの神秘。

 短編の「犬の生活」(18)は59年に40分の中編に再編集して、「担へ銃」(18)、「偽牧師」(23)と一緒に贅沢な三本立てで再公開。いわばこれは「完全版」の走りである。これが許されるのはまさしくチャップリンだけである。

 アカデミー賞の第1回授賞式が行われたとき、チャップリンは最初の特別賞受賞者となった。アカデミー協会も、チャップリンに送るのが一番無難だと考えたのだろう。チャップリンは映画のシンボルですから!

 さてさて。ここからは僕のチャップリンの想いについて書かせてもらいます。
 僕がチャップリンを好きになったのは、小学校の頃。テレビで姉と一緒に「街の灯」(31)を見て大笑いした思い出があった。チャップリンがボクシングするところが好きだったし、ストーリーにも感動した。姉と一緒に映画について語り合ったのは「街の灯」が初めてだった。それから何年もチャップリンのことは忘れてしまうのだけど、
僕の心の中には、わずかばかり「街の灯」をまた見たいという思いが残っていた。
 僕は高校まで映画には何の興味もなかった。しかしある日、ビデオ屋でチャップリンを見つけて、懐かしいからふっと借りてみたのである。その日から僕はチャップリンに恋してしまった。パソコンでチャップリンのゲームを作ったり、チャップリンの本を書いてクラスのみんなに配ったり、とにかく熱中していた。ロマンチストと言われた彼のギャグが、案外ブラックなものが多いところも興味があって、色々本を読んで調べてみた。そうやってチャップリン熱が高じて、僕は気が付くと「映画」そのものを好きになっていた。言ってみれば僕の映画好きの原点はチャップリンなのである。

 最後の短編「給料日」(22)にも驚いた。チャップリンが十八番の酔いどれ役を存分に見せてくれる作品で、たぶん彼の演技の最高峰である。ドリフがやったギャグを何十年も昔にすでにチャップリンがやっていたことにびっくり。
 牧歌的な作品「サンニー・サイド」(19)は問題作。チャップリンの映画では最低の作品と言われていて、チャップリン本人もそれを否定していないが、同作には他の作品にはない哲学感が見え隠れしていて、僕は結構好きである。チャップリンのバレエも面白いし、ラストも興味深いではないか。これでも最低か?
 「犬の生活」では一言だけセリフを喋る(もちろん字幕で)。犬を枕にして寝るときノミに気付いて言う「僕と君の真ん中によそ者がいる」というセリフ。この一言がまたユーモラスで面白かった。パントマイムだけでなく、チャップリンはそういうところにも芸があった。

 僕はチャップリンを人によく薦める。当然のことだけど、興味がない人には口がすっぱくなるほど薦めても絶対に見てくれない。だから僕は、興味のない人に「見てみたいな」と思わせられて一人前の人間なのだと勝手に考えた。まだ僕は人にチャップリンを薦められないので、半人前です。いつになったら一人前になれるのかな。

 

チャップリンの企画倒れ

 チャップリンは世界一の映画作家である。だから未完成に終わってしまった作品のことについて考えると、「惜しいなあ」と思うのである。

 色々な企画が生まれては無くなっていったのだが、中でも1919年に撮った2巻ものの短編「教授」は惜しい。「教授」はチャップリンがあのチョビ髭の浮浪者スタイルから脱皮しようと試みた作品で、22年には公開の準備もできていたが、会社との契約のごたごたで企画そのものがなくなってしまった。浮浪者とはまったく違うクセの強い扮装で登場し、ノミのサーカスをやるというものだが、結局ボツになってしまった。しかしこれは何年か前にチャップリンの未公開映像特集ビデオ「知られざるチャップリン」で再編集されて、完成品のイメージに近いものが見られるようになった。未公開に終わるのは残念なほどよくできた作品であった。

 チャップリンがずっと温めていた企画に「ナポレオン」がある。これは共演者も決まっていた。チャップリンの関連書を見てみると、ナポレオンの扮装をした写真がいくつか見られる。「ナポレオン」を諦めた原因はアベル・ガンスという監督が先に作ってしまったからだといわれている。チャップリンがナポレオンをどう料理するのか、気になるところだが、彼が作る歴史劇、ぜひとも見たかった。ちなみにスタンリー・キューブリックも「ナポレオン」を作るつもりだったというのだが、映画界でもとりわけ完璧主義者だと言われたこの二人の監督がどちらとも「ナポレオン」の映画化に失敗していることは興味深い。

 「影と実体」という小説の映画化の話もあった。どうやら宗教的な作品のようである。「独裁者」に続いて発表するつもりだったのだが、これが実現していれば、チャップリンにしては唯一の脚色ものになっていた。映画化権もちゃんと買い取っていたし、脚本もほぼ完成していた。主演女優も決まっていたが、この女優とのスキャンダルが原因で撮影は中止になる。

 オーソン・ウェルズの映画に出演する話もあった。チャップリン自身も、たまには他人から演出を受けてみたかったので、その気でいたという。ところがウェルズの映画の話を聞いているうちに、コメディ映画の案を思いつき、もうウェルズの映画どころではなくなった。そして生まれたのが「殺人狂時代」だった。チャップリンがヨーデルに殺人を邪魔されるシーンがあるが、あのヨーデルはウェルズのアイデアだという。

 チャップリンの映画製作の意気込みは晩年も絶えなかったようで、「伯爵夫人」の後、「フリーク」というミュージカル映画を作るつもりだった。これも出演者が決まっていたらしく、音楽も完成していた。きっと美しい映画になったことだろう。うーん、見たかった。

 このほか、グレタ・ガルボを主演に撮る企画などもあったというから、考えただけでも惜しくてたまらないのである。チャップリンは作った長編映画の本数は少ないが、もっといっぱい映画を発表していたら、もっともっと尊敬されていただろう。
 でも「ナポレオン」を撮っていたら「独裁者」は作らなかったかもしれないし、「影と実体」を撮っていたら「殺人狂時代」はなかっただろう。現状に満足しようではないか。

(2002/05/13)


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