チャップリンは偉大である。24歳で映画界に俳優として進出し、1年たたぬうちに世界一のスターになった。デビュー当時の映画はどれも10分程度だが、そういう時代だったので、仕方がない。デビュー作品「成功争ひ」(14)はいかにも腹黒そうなシルクハット姿のペテン師役で、ただ暴れているだけだが、ストーリーは意外と深い。今見てみると難解に思えるほど凝っている。「この人は人気者になる」と書いた新聞もあったという。
最初の1年でチャップリンは35本の作品に出た。すでにこのときから自作自演であったが、まだ自分で全部を監督したわけではなく、いくつかは他人に監督の座を奪われている。映画史上初の長編コメディ「醜女の深情」(14)は、マック・セネットが監督。チャップリンといえば自作自演が鉄則なので、他人が監督した作品では、やっぱりどうしても演出されているという実感がわかない。他人の監督作品では衝突が多かったというが、どのように演出されていたのやら。翌年からチャップリンは自分の作品の全てを自分で監督することになる。
昔は割とこわおもてのメイクアップが多かったが、ほとんどの役は例のチョビ髭の浮浪者のスタイルで演じている。中には女装して主演した作品もあった。「タンゴのもつれ」(14)は彼の映画人生で唯一素顔で出演した作品である。原始時代ものやカーチェイスものなど、色々あった。酔いどれ役が多いことから、日本ではアルコール先生というあだ名で親しまれた。
チャップリンの初期作品は、意味もなく暴れているだけで、今見ると古すぎて少しも笑えないが、作品を経るごとにだんだんと芸域が広がっていくのが観察できる。発表する新作は決まって前の作品よりも面白かった。デビュー1年後に発表した「失恋」(15)、「掃除番」(15)は名作の誉れが高い。「カルメン」(15)は短編のつもりで作ったのだが、彼自身のプロデュースでないために、勝手に倍の長さに編集され、彼にとって最初の中編映画となってしまった。出来がひどかったので、チャップリンはその翌月からは全ての作品を自らプロデュースするようになる。この時チャップリンは26歳。青年実業家というわけだ。会社側からも文句を言われず、一人芝居の「大酔」(16)など、自由に自己表現ができるようになり、彼の映画はますます磨きがかかっていく。「勇敢」(16)ではT字路のセットが印象的だったが、それ以後、T字路はチャップリン映画における大切な象徴記号となる。17年は絶頂期といってもいいほど出来が良く、チャップリン20代のベストムービー「移民」、史上最高の追っかけ劇「冒険」などが生まれた。18年には「公債」という社会的な宣伝映画も撮ったが、これはまるでアート映画といった感じだった。
長編映画は10本しかないので、作るのが遅いといわれるのも無理はないが、しかしチャップリンは24歳から30歳までの間に67本の映画に出ているのである。短編ばかりだが、これは長編に換算すると20本ものボリュームである。このスピードは驚異的である。
彼の偉大さは、長編を作るようになっても、まだなおチョビ髭の扮装で出演していたことにある。彼の作品81本の内の80本がコメディ映画というのも大変なことだ(コメディじゃない1本は最初に「これはコメディではありません」とわざわざ注意を書いたほど)。シリーズものでもないのに、こんなにひとつの人物、ひとつのジャンルにこだわりつづけた映画作家は他にはいない。定着しすぎたので、このチョビ髭こそチャップリンの素顔だと思っている人も多いのである。
本当は、若白髪で瞳は青かった。ハリウッド一のハンサムと言われていたのに、映画の中では必ず素顔を隠していた。そこがまたチャップリンの神秘。
短編の「犬の生活」(18)は59年に40分の中編に再編集して、「担へ銃」(18)、「偽牧師」(23)と一緒に贅沢な三本立てで再公開。いわばこれは「完全版」の走りである。これが許されるのはまさしくチャップリンだけである。
アカデミー賞の第1回授賞式が行われたとき、チャップリンは最初の特別賞受賞者となった。アカデミー協会も、チャップリンに送るのが一番無難だと考えたのだろう。チャップリンは映画のシンボルですから!
さてさて。ここからは僕のチャップリンの想いについて書かせてもらいます。
僕がチャップリンを好きになったのは、小学校の頃。テレビで姉と一緒に「街の灯」(31)を見て大笑いした思い出があった。チャップリンがボクシングするところが好きだったし、ストーリーにも感動した。姉と一緒に映画について語り合ったのは「街の灯」が初めてだった。それから何年もチャップリンのことは忘れてしまうのだけど、僕の心の中には、わずかばかり「街の灯」をまた見たいという思いが残っていた。
僕は高校まで映画には何の興味もなかった。しかしある日、ビデオ屋でチャップリンを見つけて、懐かしいからふっと借りてみたのである。その日から僕はチャップリンに恋してしまった。パソコンでチャップリンのゲームを作ったり、チャップリンの本を書いてクラスのみんなに配ったり、とにかく熱中していた。ロマンチストと言われた彼のギャグが、案外ブラックなものが多いところも興味があって、色々本を読んで調べてみた。そうやってチャップリン熱が高じて、僕は気が付くと「映画」そのものを好きになっていた。言ってみれば僕の映画好きの原点はチャップリンなのである。
最後の短編「給料日」(22)にも驚いた。チャップリンが十八番の酔いどれ役を存分に見せてくれる作品で、たぶん彼の演技の最高峰である。ドリフがやったギャグを何十年も昔にすでにチャップリンがやっていたことにびっくり。
牧歌的な作品「サンニー・サイド」(19)は問題作。チャップリンの映画では最低の作品と言われていて、チャップリン本人もそれを否定していないが、同作には他の作品にはない哲学感が見え隠れしていて、僕は結構好きである。チャップリンのバレエも面白いし、ラストも興味深いではないか。これでも最低か?
「犬の生活」では一言だけセリフを喋る(もちろん字幕で)。犬を枕にして寝るときノミに気付いて言う「僕と君の真ん中によそ者がいる」というセリフ。この一言がまたユーモラスで面白かった。パントマイムだけでなく、チャップリンはそういうところにも芸があった。
僕はチャップリンを人によく薦める。当然のことだけど、興味がない人には口がすっぱくなるほど薦めても絶対に見てくれない。だから僕は、興味のない人に「見てみたいな」と思わせられて一人前の人間なのだと勝手に考えた。まだ僕は人にチャップリンを薦められないので、半人前です。いつになったら一人前になれるのかな。
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