生きる「生きる」は娯楽映画としてはもちろんのこと、見終わった後も鑑賞者を大いに悩ませるその深い内容もさること、その映画的な見せ方のひとつひとつが映画の教科書にしてもいいくらい完成されたものである。ユーモアとペーソスを絡めた映画話術、静と動の映画技法、白と黒が織りなす映像美、その全てにおいて奇跡的に調和のとれた日本映画の最高傑作といえる作品である。
まず、いきなり出だしのナレーションに引き込まれる。このナレーションは実におしつけがましく、説教的でさえある。このナレーションの扱い方は、一般的にはまずやるはずのない反則的な手法であるが、そこをあえて試みたところに心をひかれる。それ以降も、物語は至ってユニークな展開を次々と繰り広げ、黒澤は同パターンの見せ方は二度と繰り返さない。風俗街をさまよう映像はすさまじいほどの喧噪感であるし、かつての部下と援助交際するシーンもある種の異様な雰囲気が漂う。あの派手な帽子の色は最後まで何色なのかわからないが、そこが鑑賞者の想像力をかきたてる。映画の中盤で大胆にも主人公を殺し、酔いどれたちの座談会だけでストーリーを進行させる手口にも舌を巻くばかり。しかし何よりも目を見張るのは志村喬の鬼気迫る演技だ。主人公は相当な変わり者である。喋れば必ず言葉がつかえ、瞬きせずにぎょろりと見開いた目からは涙がにじみでている。臭い息まで匂ってきそうだ。ブランコで雪の降る中歌う姿を見ていると、自分は今何をすべきかと、しんみりと考えさせる。今後も死ぬまでつきあっていきたい映画である。→DVD

1952年は日本における映画最盛期といっても過言ではない。戦時中に上映できなかった海外の名作が、この年ドッと日本で公開されている。ヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」と「欲望という名の電車」が日本で上映されたのもこの年である。この他「第三の男」「天井桟敷の人々」など、米・英・仏・伊のあらゆる傑作がこの年日本に出そろった感がある。キネマ旬報ベストテンではチャップリンの「殺人狂時代」が1位に輝いた。一方邦画の方も「稲妻」「おかあさん」などの成瀬巳喜男作品や、「真空地帯」、「西鶴一代女」が公開され、まさに映画が最高の娯楽文化であることを示した輝かしい1年だった。
海外ではアメリカの巨大スクリーン化が話題になった。シネラマ映画や3D映画が生まれたのもこの年だ。アメリカでは「雨に唄えば」などのミュージカルが人気だったが、オスカーレースは「真昼の決闘」と「静かなる男」を抑えて「地上最大のショウ」が勝利した。
赤狩りが続く中、チャップリンはアメリカを追放される。劇作家のリリアン・ヘルマンは非米活動委員会の召喚を拒否。「革命児サパタ」を撮ったエリア・カザンはかつて自分が共産党員だったことを証言し、かつての仲間達の名前を密告し、映画界に衝撃を与えた。
チャップリンの「ライムライト」、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」、黒澤明の「生きる」と、生きることについて描いた作品も目立つ年だ。
 

イブ・モンタン
フランスのシャンソン歌手。「恐怖の報酬」で命懸けのニトログリセリン運搬の仕事を引き受ける男を演じ、役者として初めて評価された。

シモーヌ・シニョレ
フランスの女優。マルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」に主演。夫を殺す不倫妻を演じ、この年最も高く評価された女優である。
カルティエ・ブレッソン
マグナム・フォトスを結成したフランスの報道写真家。この年ブレッソンの伝説的写真集「決定的瞬間」が刊行された。44歳だった。→写真集
1. 地上最大のショウ
2. クオ・ヴァディス
3. 黒騎士
4. キリマンジャロの雪
5. 底抜け艦隊
2006年1月4日