ヴィヴィアン・リー

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ヴィヴィアン・リー

 
 何かの映画で「世界一美しい女性はヴィヴィアン・リーだ」というセリフを聞いて、納得したことがある。ヴィヴィアン・リーはまさしく世界一美しい女優であり、全女性たちの憧れだ。その美貌と気品を持ち味に、「美女ありき」(40)、「アンナ・カレニナ」(48)など、文芸映画を中心に活躍。「シーザーとクレオパトラ」(46)ではあのクレオパトラを演じた。世界一の美女である彼女だからできた芸当である。

 しかし、リーの主演する作品を見てみると、美貌を生かしたものよりも、体当たりの演技が買われた作品に傑作が多い気がする。代表作「風と共に去りぬ」(39)は、わがままなお嬢様が、やがて強い女に成長する壮大なアメリカ歴史絵巻。何十人という候補者の中からリーが大抜擢された。同作は大成功をし、世界で最も客を獲得した映画となる。

 同作でリーが表現した女の逞しさ・激しさが、多くの女性ファンを共感させた要因であろう。 インド生まれの英国女優であるリーは映画の都ハリウッドで伝説的な大スターとなったのである。そんな彼女が半世紀も昔の人なのだと、今の映画ファンは果たして知っているのかどうか。それは時を経ても映画の中のリーの美しさが色褪せないことを意味している。

 「スカーレット・オハラを演じるために生まれてきた女」という褒め言葉は、かなり失礼な気もする。たしかに「風と共に去りぬ」がある限り、リーの名声は永遠のものである。だが、そう片づけられては、彼女には「風と共に去りぬ」しかないように聞こえてならない。・・・事実そうなのかもしれないのだが。

 「風と共に去りぬ」よりも「哀愁」(40)を高く評価しているファンも多い。「哀愁」はハリウッド恋愛悲劇の最高傑作とされている作品である。リーの美しさに惚れ込みたければ、こちらの方をお薦めする。とくに、モノクロの良さがまだわからないという映画ファンに見てもらいたい。

 彼女は体が弱かったせいで、低迷期が非常に長かったのが残念である。それでも舞台でシェイクスピア劇などに出演し、女優としてのプライドは見せていたようだ。「欲望という名の電車」(51)は舞台に映画に大絶賛されたリーのライフワーク。映画版は頻繁にクロースアップするので、リーの感情表現のうまさをじっくりと鑑賞することができるだろう。

 晩年は舞台活動に従事。息をひきとる前日までセリフの稽古をしていたという。

雑誌の評価は気になる?気にならない?

 僕は作品の価値を雑誌の評価で判断するタイプであった。僕は実は映画マニアでありながら大のゲーマーでもあるのだが、ゲームソフトに関しても、雑誌の評価を見て買うか買わないかを決めることが多い。毎週雑誌の評価を読むことが何よりも楽しみだったりする。

 だがしかし、最近はそんな自分が少し恥ずかしく思えてきた。作品を見もしないで、雑誌の評価がこうだからこの作品はこうだという風に決めつけるよりも、作品を実際に見て、自分自身でその価値について考える方が何十倍も面白い。もっと自分の意見に自信を持とう。

 たまにはポスターやパッケージだけで自分が面白そうだと思った作品に自分から触れてみるのも、また楽しいこと。たとえその作品が面白くなかったとしても、それはそれでいい経験になる。まったく予備知識なしで見る作品には、予期しない大感動が待っている。ホラー映画『トレマーズ』しかり。深夜放送の映画を何気なく見ていたら、ぐいぐい引き込まれて、作品名もわからぬまま、結局寝ないで最後まで見てしまったという経験は誰しもあるだろう。

 雑誌の評価だけでなく、「アカデミー賞3部門ノミネート」「興収全米ナンバー1」などの宣伝文句にも、僕はちょっと前までは敏感に反応していたが、最近はもうそんなことはどうでもよくなってきた。それがどうしてオスカーを取れたのかは気になるので、その意味では作品を見てみたいが、ただしオスカーを取ったからって、自分にとってもそれが面白いものであるとは限らない。ああいう賞には何らかの贔屓と好みがあることだしね(たとえば、特撮映画は受賞しない、身体障害者を演じた人は受賞しやすい等々)。確かに賞を取ることはすごいことであるが、無視された作品にだって傑作は山ほど埋もれている。あの名匠ヒッチコックでさえアカデミー賞は一度も取っていないのである。

 批評家が何を言おうが、気にしないことだ。その批評家が偉いなんて思ったことがあったか? 大切なのは自分がどう作品を受け取るか、だね。
  (あ、誤解しないでよ。別に他人の意見を聞くなって言ってるんじゃないからね。他人の意見を聞くことも、とても面白いことだから)

(2002/01/27)

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