週刊シネママガジンコラム番組の打ち切りについて

 森光子さんが「放浪記」上演回数1800回を達成した。この道45年86歳。まだまだ若い。一人の俳優が、ひとつの作品を守り続けるのは、大変なこと。僕の尊敬する渥美清氏も生涯「男はつらいよ」1本だけにこだわり続けた。僕は寅さんのそこに惚れた。

  僕はこれは日本人の国民性だと思っている。ドラマの第1話では子役だったのに、最終回では立派な大人になっていたなんてことは日本ではよくあることだ。タモリが生番組「笑っていいとも!」(今となってはレトロですな)をあれだけ長く続けていられるのも日本ならではだろう。寅さんもタモリもたやすく世界記録である。この手の世界記録は日本勢の圧勝で、外国では土台無理に思える。イギリス生まれの長寿映画「007」のジェームズ・ボンド役は今までに何度交替しただろうか。

 この前、友達とアメリカの海外ドラマの話題で盛り上がった。最近僕が入れ込んでいる海外ドラマは「プリズン・ブレイク」だが、ひとつ心配なことがある。それは、これが「途中で打ち切られないか」ということだ。アメリカでは海外ドラマの打ち切りはよくあることだ。1クールの真ん中で突然やめることだってある。僕の大好きな「猿の惑星テレビシリーズ」は無念にも途中で打ち切られている。よく見るとなかなか面白いのに打ち切られてしまったものもあれば、たいして面白くもないのに長く続いているものもあり、作品の質と視聴率は必ずしも比例していない。

 アメリカでは視聴率が第一で、視聴率が取れないとわかれば、番組を打ち切らなければならない。あちらの国ではスポンサーが厳しいのだろうか? この辺のシビアさは僕が子供の頃に見た映画「バトルランナー」にも皮肉ぽく描かれていたのでよくわかる。

 ドラマが長く続いたとしても、役者がやめていくケースも多い。途中で自分の役に飽きたり、もっと大きなチャンスをつかみたくなって独り立ちしたりするからだ。ジョージ・クルーニーは「ER」で一躍売れっ子になったが、もっとビッグになりたくて、「ER」の世界を抜け出して映画スターになった。そして今ではアメリカで最も愛されているスターのひとりになった。僕は「ER」のことはよく知らないが、ファーストシーズンからしぶとく何年も出つづけた俳優もいたらしい。憶測になるが、ひょっとしたら、この人は本当はやめたいと思っていたのに、続けている間の名声を捨てきれなかったのかもしれない。いや、それとも、やめたところで他の役をもらえる自信がなくてしがみついていたのだろうか。

 俳優がやめると、必然的にドラマの脚本も変わっていく。ドラマの脚本を書く際に起承転結を考えてはならないのはそのためである。ドラマの脚本は生き物のようなものだから、放送回数が進むたびに、ストーリーが何度も見直され、当初の構想とは違った方向へと発展していくこともある。以前ここで紹介した「トゥルー・コーリング」はその悪い例にあたる。良い役であるはずの登場人物を悪役にしてしまったり、人気のある登場人物を殺してしまったり(役者が降板を望んだのか?)、ストーリーを塗り替えすぎて、物語がずるずると良からぬ方向へと向かってしまった。ドラマでは一度放送した回に話を戻してやり直すことができないから、このドラマはとうとう収拾がつかなくなって、何の解決もせぬまま打ち切りとなってしまった。この辺はDVD-BOXを見てもらうと、だんだんと話が崩れていくプロセスが手に取るようにわかって興味深い。

 アメリカのテレビドラマの在り方は、とても日本では考えられないだろう。日本では、どんなに視聴率が悪くとも、ふつう一度始めたドラマは、最終回まできちんと放送するようになっている。日本にも打ち切りがないわけではないが、たとえ打ち切るとしても、無理矢理にでも最終回らしきものは設けてから終わるものだ。ダメな物は切り捨てるのがアメリカのポリシーなら、一度始めたものを最後までやり抜くこと。それが日本のポリシーだ。

2006年9月5日