フリッツ・ラング
建築的フィルム作家
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●ドイツ表現主義映画の旗手 フリッツ・ラングは、僕も最も尊敬する映画作家のひとりである。とにかく彼の映像の構造美を見てもらいたい。もともと建築家だったので、スタジオの作りも凝っており、現在のスペクタクル映画の基礎を築いている。 「カリガリ博士」(19)の監督としてデビューするはずだったが、結局は「Halbblut」(19)でデビュー。認められた最初の作品は「死滅の谷」。死の世界を水平線と垂直線で描写したもので、ここから彼はドイツ表現主義の旗手として活躍する。 彼の初期サイレント作品はどれも傑作で、その全てがドイツ映画史を代表する作品である。犯罪映画「ドクトル・マブゼ」はドイツ映画のナンバー1と言われており、ストーリーだけでなく細部まで緻密にこだわった想像力豊かな映像は今日も評価が高い。 「ニーベルンゲン」はワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の映画化であるが、神秘的なセット、壮大なるスペクタクル、詩情あるストーリーがあいまって、中世ファンタジーの原点にして最高傑作である。 「メトロポリス」は現在もカルト的人気を誇る近未来SF映画である。1シーン1シーンのビジョンには、ただただ驚くばかり。その後出てきた未来都市の構造は、全てこの映画の影響下にあるといってよいだろう。 ●「M」 映画の主流がトーキーになってから、ラングはトーキーだけにしか作れない独特の犯罪映画を作った。「M」である。これはラングの作品の中では恐らく最もよくできた作品である。「ペールギュント」を口笛で吹きながら少女を殺すという連続殺人事件を描いたものだが、ディテールから全体図を見せていく恐怖シーンの膨らみは、映画芸術のお手本にしたい見事なものである。 ●ハリウッドに亡命してから ナチスから逃れるため、ラングは34年にアメリカへと亡命。外国人監督発掘の大家デビッド・O・セルズニックと契約してハリウッドでも映画を撮り続けた。最初に撮ったのは「激怒」で、幸いこれは絶賛され、早くもアメリカでの人気が高まる。続く「暗黒街の弾痕」はボニーとクライドをモデルにした最初のドラマで、これまたフィルム・ノワールの極めつきの名作に。 ただし、それ以後の彼の作品は、ドイツ作品に比べると、どうもセンスがない。ときには「死刑執行人もまた死す」のような傑作も作ったが、B級映画の方が多い。ハリウッド側が彼にはプログラム・ピクチャーを中心に撮らせていたので、ドイツ時代のアーティストとしてのラングは消えてしまったのである。 DVDの検索 |
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フィルモグラフィ 19 黄金の湖 21 死滅の谷 22 ドクトル・マブゼ 24 ニーベルンゲン 26 メトロポリス 28 スピオーネ 31 M 34 リリオム 36 激怒 37 暗黒街の弾痕 38 真人間 40 地獄への逆襲 41 西部魂 41 マン・ハント 43 死刑執行人もまた死す 44 飾窓の女 44 恐怖省 46 外套と短剣 53 復讐は俺に任せろ 55 ムーンフリート |