週刊シネママガジン作品紹介ALWAY S 続・三丁目の夕日

ALWAYS 続・三丁目の夕日
(2007年日本)

 

ALWAYS 続・三丁目の夕日
 「ALWAYS 三丁目の夕日」は宝物のような作品だった。その神聖なる作品に、なぜ続編を作ってしまうのか。僕は製作発表時、それだけはやめてくれと思ったものだった。せっかくの良い作品が、続編ができたことで、汚されるような、そんな気がしていた。

 公開初日。僕は、出来がどうであれ、続編も見届けなければという義務感にかられて見に行った。最初のゴジラのシーンを見ていきなり引き込まれた。本家ゴジラを打ち負かしてやろうじゃないかというぐらいに迫力あるゴジラの暴れっぷり。ここまで大げさにやってくれると、さすがにふっきれた。ここで気持ちをリセットして見ることができたので、2作目は大変楽しめた。これなら3作目も任せられると思ったほどだ。

 僕にとって2作目は1作目を超える内容だった。2作目の方が、心理的に今の自分の境遇に近いものを登場人物の中に感じ共感できたからだ。どっちが良くてどっちが悪いとか、どっちが泣けたとか、そんな問題じゃなく(実際甲乙つけがたい)、僕は2作目の方に好感を覚える。芥川賞を取るために全力を出してやってみる。それを見た周りの人たちは全力で応援する。その心に僕は素直に感動してしまった。

 このシリーズを構成する感動の要は、ノスタルジーな世界描写と、純粋無垢なストーリー展開といえる。ノスタルジー単体ではダメだし、ストーリー単体でもダメ。その2つの要素がうまく絡み合うことで、大いなる感動を呼ぶ。

 1作目はノスタルジーとストーリーの比重が7:3だったとすると、2作目の比重は3:7だ。1作目では、力道山や冷蔵庫が出てきただけでも様になったが、2作目はもっと内面的なものに焦点をあてており、形式よりも内容で勝負している。

 思えば、1作目では昭和のスタイルを真似していても、それは平成の立場から観察した昭和でしかなかった。しかし2作目は、昭和を意識せずとも、当たり前のようにその世界に溶け込めるようになっている。だからこそ、本作は1作目の二番煎じとならず、新しいアプローチの映画として楽しめるものになった。

 ストーリー単体だけをとってみれば、なんのひねりもないシンプルな内容である。大きな事件は何も起きない。はっきりいって、わかりきった展開である。しかしこれがなぜだか不思議と涙を誘う。思い通りの展開になることで「そうこなくては」と嬉しい気持ちになる。いわばそこに安心感みたいな優しさがある。この時代背景の上で描かれているからこそ、この真っ直ぐなストーリーが生きてくるのだろう。

 圧巻は芥川賞発表のシーンだ。人生の喜怒哀楽は、なにもかもここに集約されている。ここにやおら現れる部外者、小日向文世がうまい。我が事のように感情を剥き出しにする鈴木オート、堤真一の演技にはじんとくるものがあった。

 小さな短編が連なり、昭和の町と憎めない住民たちがセットになって、ひとつの長編を形成しているところは前作と同じだが、今作はより芯が太くなっており、1本の作品として見応えのあるものになっている。

 群像ドラマとして、これほどよくできたものはない。登場人物がこれほど大勢いるのにも関わらず、その輪があまりにも分厚いため、他人が他人のようでなくなり、皆が一丸となって、もはや群像ドラマであることを意識させない群像ドラマになっている。この輪の温もりが、この映画の美点であると思う。

2007年11月6日