週刊シネママガジン作品紹介レビューミュンヘンほか

ミュンヘン
★★★★★
(2005年アメリカ)
 


描いているテーマ自体、かつてない重苦しさ。スピルバーグはアウシュビッツの実態、最前線の実態に続き、またひとつ現実の怖さを浮き彫りにした。
これは10年に一度現れるかどうかという大傑作だと断言しよう。その理由は、これが僕が今までに一度も見たことがなかったタイプの映画だったからである。映画を見ていて、かつてここまで胸にズシリときたのは初めてだった。70年代の世界を細部まで再現し、フィルムの質感、照明の明暗まで70年代のヨーロッパ映画の雰囲気を意識しているが、その映像からは、まるでその場にいるかのようなリアリティがあったし、ワンカットワンカットから感じとれる映像的圧力感は尋常じゃなかった。一見、全体的にリアリズムに徹しているようであるが、このシリアスな展開にあって、始終娯楽映画のスタイルを保持している点にも驚かないわけにはいかない。真面目な内容ではあるが、すべてのシーンが現実の怖さを描きつつも、サスペンスとしてもスタイリッシュかつ巧妙に作り込まれている。ノンフィクションとフィクション。本来なら相反するであろう二つの要素が、お互いに殺ぐことなく、見事に共存しあい、観客に食い入るように見させてしまう。このような映画はこの10年間で一度も見たことがない。


博士の愛した数式
★★★★1/2
(2006年日本)

 


80分しか記憶が続かない数学者を描いた物語。久しぶりに「ヒューマン・ドラマ」と堂々と言える映画を見た気がした。最初に褒めるべきはキャストだ。寺尾聰、深津絵里、吉岡秀隆の3人は、まさに彼らにしかできないような役柄で、これ以上ない適役だ。寺尾聰が「実にいさぎよい数字だ」と言う様が落ち着いていて味わい深い。彼ら3人の優しさが何より心地よい余韻を残すが、そこに大物女優浅丘ルリ子を登場させ、彼女の役に持たせた秘密の仕掛けもストーリーの大きな刺激になっている。役者が決まったところで、ほぼこの映画は成功している。
見どころは、なんでもない数字を、さも魅力的に描いていることだ。まるで魔法であるかのように、ただの数式が、宇宙の神秘のごとく見えてきたり、美しいものに見えてくる。直線とは何か。素数とは何か。そうした数々の数式に人生の教訓を例えるユニークな話術に感動しきりである。数字をみてここまでワクワクさせられたのは初めてだろう。この数字の劇的魔力に浸るだけでもこの映画を見る価値は大きい。


単騎、千里を走る。
★★★★
(2005年中国)

 


中国では反日の傾向があるが、日本では中国映画が大ブーム。この作品もご多分にもれず、拡大系映画館で上映された。チャン・イーモウにとっては「あの子を探して」のように昔のカラーを思い起こさせる内容になっているが、いよいよこれが拡大系上映とは、チャン・イーモウの名前も大きなものになったものだ。
僕はこれを見て、とにかく嬉しくてたまらなかった。日本一の国際スター高倉健が中国映画に出ているという点でもそれは嬉しいが、久しぶりに僕のイメージしている本来のチャン・イーモウが帰ってきた点でも本当に嬉しい。あの何もない広大な土地をバックにした映像の構図ひとつひとつがとても愛らしく、村の人が総出で食事会をするカット以降からは、もうチャン・イーモウ節が全開。村長さんなどはまさにチャン・イーモウ映画の住人そのまんまの立ち居振る舞いである。高倉健についても、その不器用な役どころを理解しきった描き方で、彼がいつもどおり無言で押し黙っている様を見ているだけでも嬉しくなってくる。高倉健のキャラクター像がチャン・イーモウ映画に溶け込んで起きた化学反応が本作最大の見せ場。高倉健を敬い、高倉健のために作った「高倉健そのもの」の映画になっており、高倉健をモチーフにした映像詩と言うべき傑作。日本人として、高倉健を誇りに思える映画だ。


(C)2005 DISNEY ENTERPRISE, INC.
南極物語
★★★★
(2006年アメリカ)

 


日本で二十数年前に大ヒットした「南極物語」をモチーフにしたフィクション映画。日本では多数の子供映画に埋もれて興行成績はかんばしくなかったようだ。監督はスピルバーグ系映画のプロデューサーだったフランク・マーシャル。「生きてこそ」以来の作品だが、また極地のサバイバル映画を作ったことに彼なりのこだわりを感じる。
ストーリーのあらかたの流れは日本版になぞっているが、各シーンの見せ方はより洗練されたものになっている。人間が溺れそうになって危機一髪助けるシーンの緊張感といい、主人公とヒロインのささやかな恋愛描写といい、コミックリリーフの配置といい、感動のシーンまでの溜め方といい、正直言って、ハリウッドの映画作りの巧さを痛感した思いである。内容は日本版ほど暗くはなく、大いに映画的な見せ場に彩られている。
僕は見る前から、おそらくアメリカ版には日本版で印象的な説明的なナレーションはなくなると思っていたが、案の定ナレーションは消えていた。アメリカ版は、犬たちをまるで人間の登場人物であるかのように描くことでナレーションで語るべきところは解決している。お互いに励まし、助け合う犬たちの豊かな生の表情は、CG全盛のこのご時世には本当に抱きしめたくなるほど愛くるしく映る。


イーオン・フラックス
★★1/2
(2005年アメリカ)

 


MTVのアニメーション「イーオン・フラックス」の実写映画化作品である。アニメ版は、本当に大傑作といえる作品だが、こちらの実写版の方はお粗末な出来栄えに終わってしまった。アニメ版のファンが怒る顔が目に浮かぶ。僕自身アニメ版の大ファンだったので、あえて比較させてもらうが、この実写版が失敗した理由は、アニメ版にある崇高さが微塵も感じられないことだ。アニメ版の設定はある程度借用しているけれども、アニメ版の救いようのない未来の荒廃した管理社会の世界観と比べると、実写版の方はセットにお金をかけている割には、ただデザイン性だけかっこつけているだけであって、生活感など何もなく、観客には訴えかけるものがない。また、極力説明をせず、作品の解釈を視聴者に委ねたアニメ版と違い、実写版は説明が多すぎるため、何が起きても安っぽく感じてしまう。トレバーとイーオンの関係についても実写版では無理矢理関係に意味を持たせてくれたせいで子供だましのレベルに落ちた。また、死に対しての哲学感がアニメ版と比べて実写版は薄弱すぎる。こうなると、見どころといえばシャーリーズ・セロンのアクロバチックな演技だけとなる。アニメ版ではムチムチハイレグのナイスバディだったのに、実写版では胸のないセロンが全身タイツで胸をはって演じてくれているが、意外とセロンはアニメ版イーオンにそっくりだったのが今回唯一の収穫である。色気はないが、悲しげな声が似ている。このセロンの仕事っぷりだけは買いたい。

2006年3月27日