座頭市
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 映画が始まり、タイトルが出た瞬間、ほぼ最初のこのワンカットで 、この作品がただものではない傑作だと直感した。そこに漂う日本臭さ。これは、ベネチアで銀獅子賞を受賞し、世界で高く評価されたたけしの意欲作だ。
 個人的なことを書かせてもらうが、僕は以前「なぜ日本人は洋画を見るのか」というコラムを書いたことがあったが、たけしの「座頭市」を見たときには、日本映画の価値について改めて考えさせられた思いである。なぜ僕は今までアメリカ映画ばかりを見てきたのだろうと、そこまで後悔させたこの作品は、僕の映画生活における、ひとつのターニング・ポイントになったかもしれない。日本人だからこそ、邦画を見るべきだと。
「座頭市」は黒澤映画のような豪快なタッチの時代劇の流れをくみつつも、現代の多様化したデジタル文化の色合いをのぞかせる作品である。たけしは開き直ったようにCGをびしばし使って、自由な作風でこれを形にした。そこには思いがけないアイデアも仕掛けられ、一貫して開放感のある作品となっている。
 時代劇というのは、海外でも広く知られているジャンルだが、日本映画にしかないジャンルである。 たけしは「Yojimbo」「Samurai」など、外国人にも通じる日本語の人気ワードを用いて、海外の映画ファン心理を相当にくすぐっているようである。主人公は金髪だが、かといってバタくさい映画になっているわけではなく、あたかも生粋の日本映画らしさを演出している。それでいて、西洋人が見て喜ぶような「ニッポン文化のゾクゾク」を、西洋向けに披露してみせたたけしの心憎い芸人魂。「Samurai」という言葉が海外で大袈裟に解釈されている今だからこそ、その意義は黒澤映画のそれとはまるで違ってきている。
 日本刀は、タランティーノ映画などの悪影響で、西洋人にとっては、もはや世界に現存する武器の中でも最強のものに祭りあげられているが、たけしがその最強の武器を仕込んだ杖を片手に、「Samurai」や「Ninja」を容赦なくぶったぎる様は、銃社会アメリカのペキンパーが見せた殺戮シーンと同じく、フィクションゆえの映像的痛快感に満ちている。血の描き方もスタイリッシュだ。ここで問題なのは、銃撃戦は日本映画にも真似ができるが、チャンバラは日本映画にしかできないということ。たけしはピストルを持った悪役さえも、いともたやすく成敗してしまう。この無敵の強さは、すなわち時代劇の力強さの象徴であり、これが日本映画だけでしか楽しめない娯楽要素だということを見せびらかしている。だからこそ、日本人である僕は、この作品を、まるでW杯で日本チームを応援するのと同じくらいの気持ちで見入ってしまった。この映画のたけしは、心の底からかっこいい日本人といえる。
 この作品を見ることは、つまりは世界の視点から日本を見ることと同じだ。外国人も歓喜したこの時代劇の神髄を理解できるのは日本人の特権。日本人であることを自慢しながら、じっくりと鑑賞してもらいたい一本である。

2003年10月20日