ヴィンセント・ギャロ。名前の語呂からしてカリスマを感じさせるこの男。一人で監督・脚本・主演をこなすというところで、他の映画監督とは全然違っている。映画以外にも絵画や音楽、レースなど、多方面で作品を発表しているまさに「アーティスト」であるため、映画が映画会社の商品ではなく、一個人の芸術作品となったのだから、おそらくコクトーやウォーホルが出てきたときもこんな風に騒がれていたのではないかと思う。狙いすぎていてギャロが嫌いという人もいるが、それは一度この映画を見てから判断してもらおう。
もともと映画館で上映することを考えて作ったわけじゃなかったから、俯瞰ショットや超クロース・アップを多様するなど、カメラも趣向を凝らしており、ギャロも好き放題やったというが、アンジェリカ・ヒューストン、ロザンナ・アークエット、ミッキー・ローク、ジャン・マイケル・ヴィンセントなど、名のあるスターもチョットだけ参加しているため、アート映画の域を越えた娯楽映画になっている。一見シュールリアリズムっぽい映画に勘違いされがちだが、実はクラシック・ハリウッド的な正統派スクリューボール・コメディというところで、その意外さも手伝って、日本でもミニシアターで大ロングランを記録した。いやはや何度でも見たいと思わせるハッピー気分満開の痛快作である。
ヴィンセント・ギャロははっきりいえばコワモテである。目つきなどかなりイカつい。ムショから出所して、いきなり女の子を拉致して、ひでぇ野郎だと思わせるが、誘拐犯なのになぜかスキだらけで、ちょっと間抜けな雰囲気が漂う。映画が進むにつれ、しだいにこのやくざな男が、本当は純粋なハートの持ち主だったというのがわかっていく。本人は誘拐したつもりではなかったこともわかる。ロードムービーみたいにストーリーが前へ前へと突き進みながらも、絶妙のタイミングで見せ場が飛び出す脚本の妙味にうならせるが、一貫して主人公のダメ男ぶりが可愛い。同じ言葉を何度も繰り返したり、ボウリング場で無邪気に飛び跳ねたり。貧乏なのに金持ちの振りをしたり、童貞のくせに女の子と付き合っていた振りをしたり。彼にはたった一人だけ友達がいるが、その友達も救いようのないバカ。バカはバカ同士で連むものだが、この2人のバカコンビぶりが笑わせてくれる。ムショに無実の罪で入った理由を知ったときには、僕もそのバカさに呆れてズッコケそうになった。でもそこが女性たちの母性本能をくすぐる。バカはバカでも純粋な心を持ったバカだからだ。「男はつらいよ」が好きな僕としては、恥ずかしがり屋で恋愛に臆病な寅さんの姿をどうしても重ね合わせてしまったが、そんな感じでギャロのこのバカっぷりを始終ニコニコしながら見させてもらった。
これは恋愛映画であるが、少しも嫌みな感じがしないところがいい。大人じみた恋物語ではなく、大の大人なのに子供みたいな恋をしているところが良かったのだろう。だからヒロインは誘拐されても逃げようとしなかった。男に何の殺気も無かったからだ。ヒロイン役にクリスティーナ・リッチを抜擢したことも正解だった。ギャロと均等がとれている。もしセレブっぽい美女がこの役をやっていたらつまらない映画になっただろう。リッチは美女というわけではないが、秘めたる才能があったし、丸顔で、背も低く、脚も太くて、ポッチャリしているところが良かった。肌がとても柔らかそうである。カメラが彼女に接写するときなど、なかなかドキドキさせるものがある。最初に登場するシーンで、わざとらしく画面に映し出されるふくよかな胸元からも何か不思議と温もりを感じさせた。実年齢よりもだいぶ上の年齢を演じているが、彼女は幼い顔つきなので、そのけばけばしいメイクがかえって可愛らしく見える。ほとんどのシーンはギャロとリッチの二人だけの会話劇で見せきったところも見事としかいえない。インスタント写真を撮るシーンでの二人のやりとりを見ていると羨ましくなる。モーテルでの一幕は、「或る夜の出来事」以来心臓の鼓動が高まった。リッチが「一緒にお風呂入ってもいい?」と言ったときにはこっちまでドッキリしたもんだ。子供みたいなギャロが、リッチのそばで胎児みたいにうずくまって眠るところなど、見ていて嬉しくなってくる。
ラスト、クッキー屋でのギャロのウキウキした表情は、大いなる感動を呼ぶ。バカなことをせずに思いとどまること。そうすれば幸せがやってくるというお話である。これを「好き」と書くと、僕も自分のことをダメ男であることを認めているようで悔しいのだが、絶対にこの映画のギャロに共感する人は男性客の過半数を占めるという自信が僕にはある。なかなか素敵な出会いを描いたボーイ・ミーツ・ガール物語だから、女性の視点からみても心に響くものがあるはずだ。「愛こそはすべて」である。
最後に、書き忘れてならないのは、この映画に既成のロックが使われていること。ロックをBGMに使った映画としては、まあ上出来の部類であろう。イエスというイギリスのロック・バンドの曲が2曲使われているが、イエスはベースが特有のバンドだから、「Heart
Of The Sunrise」の分厚いベースのサウンドが見事にストリップの映像とリンクして異様な空間を作り上げていた。ギャロは大のイエス・フリークとして知られており(僕も大のイエス・フリークですが)、彼はある日インタビューでこう語っている。「私の人生で最高の日は、イエスのベーシストのクリス・スクワイアに食事に招かれた時だ。2番目に最高だったのは、イエスのヴォーカリストのジョン・アンダーソンに会った時だった」
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