■作品数は史上最多
山田洋次は「天賦の才がなければ映画監督にはなれない」と言ったことがあるが、自分の才能に相当な自信がなければこのようなセリフは出てこないだろう。現に山田洋次にはあふれんばかりの才能があった。皆が妬みきれないほどあった。その才能は今も枯れることなく成長を続けている。映画化された脚本は100本以上で、そのほとんどは自分で演出しているが、テレビ作品も含めたら、山田洋次が手がけた作品は膨大な数になる。年に3本という驚異的なペースで作品を発表し、そのほとんどが大成功していることを思うと、山田洋次が人間であることが信じられなくなることもある。山田洋次はどのような映画がヒットするのかを理解しており、そのルールを守りながらも、映画の中に自分なりのメッセージを詰めこむことができた技術者である。日本にも巨匠と言える監督はいくらでもいるが、作品を作るスピードとクオリティにおいては山田洋次を凌ぐものはいなかった。山田洋次は誰よりも映画を作ることが得意だったのである。おそらく山田洋次この人こそ戦後世界一沢山の映画を作った「選ばれし男」になるのではないだろうか。
■男はつらいよシリーズの偉業
山田洋次が作った映画はもちろん「男はつらいよ」シリーズだけではない。しかし発表した作品の半分以上が同シリーズであることから、山田洋次にとってそれは生涯で一番記憶されるものだろう。落語と映画が融合したような車寅次郎という魅力あるキャラクターを作り上げたという功績は大きい。山田洋次と渥美清はまるでビリー・ワイルダーとジャック・レモンのように息が合っていた。シリーズは30作目を超えた時点で史上最長映画としてギネスに認定され、その後も記録を伸ばして通算48作・27年間も続いた。盆と正月の風物詩として国民から愛され、松竹を支えるビッグタイトルであった。山田洋次もよくプレッシャーに耐え、毎回脚本の構成力のすばらしさには世間を驚かせた。中には「寅次郎忘れな草」(73)、「寅次郎相合い傘」(75)、「寅次郎ハイビスカスの花」(80)、いわゆるリリー三部作のような、まったく非の打ち所のない大傑作もあったが、それでいて、シリーズと平行して他の作品も作っていたのだから体力・精神力の強靱さは尋常じゃない。
■寅さんの魅力
「男はつらいよ」シリーズは一本一本が単体で楽しめる内容ではあったが、ストーリーがつながっていたので、48作全部で一本の長い映画になる。上映する年代と映画の中の年代が常に一致しているというのは、長寿シリーズの寅さんだけに言えることである。年々寅さんの世界も新しくなっていき、だんごとラムネの物価も上がっていった。出演者たちも登場人物同様実際に年を取っていった。これは大変素晴らしいことである。例えば昔小さい娘だった登場人物が、やがては色っぽい大人の女性となって寅の前にマドンナとして現れたりするのである。そこに同シリーズの魅力がある。渥美清が病気になって派手な演技ができなくなってからは、満男役の吉岡秀隆が第二の主役となり、長い長い時間をかけて世代交代を描いて見せた。
■あくまでシネマスコープ
畳の部屋で一家で楽しく会話しながら夕飯を食べる。ただそれだけのシーンにも見応えがあるのは、役者たちの演技のうまさももちろんだが、もうひとつ、シリーズがすべてシネマスコープで撮られていることにも理由がある。寅さんがテレビではなく明らかに映画だと思わせるのはそこである。もともと寅さんはテレビドラマが起源なのだから、テレビに勝つためにもシネスコの横幅の持ち味を活かすわけである。山田洋次はクロースアップはあまり使わず、シネスコサイズの端から端まで登場人物を配置させ、畳の上に座る寅さん一家のみんなを一度に映しだした。こうすることで、日本家庭の日常風景のリアリズムを表現することができたのである。またシリーズでは日本各地をロケしているが、シネスコで日本の古き良き名所を望むのは、なかなかの壮観であった。そうした何気ない演出に、シリーズの芸のすばらしさを発見することができるのである。
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