■俯瞰の映像は客観的なもの
しゃがんだり、寝そべったりした人物を撮れば、黙っていても下向きの映像になる。ここで俯瞰の映像が「客観的」であることは覚えておいて損はないだろう。また、俯瞰で撮られた被写体は、どことなく「弱さ」を感じさせる。
「市民ケーン」は俯瞰の特性をよく理解した作品である。写真3は冒頭に入るドキュメンタリータッチの映像からの1コマである。かつての大実業家が、報道カメラの餌食となり、晩年の寂しい姿を激写されている様子である。望遠レンズの平らな画質、カメラのブレがさらに映像に実話性を与える。俯瞰であることが、主人公の日常を「覗き見ている」気分にさせ、なおかつ主人公の無力さを強調するのである。
ベッド・シーンでは、アップよりも、遠くからの俯瞰のショットが、観客により性的興奮を与えるような気もする。これは俯瞰のカメラが、「覗き見ている」気分にさせるからだろう。
次に「四十二番街」のダンスショーの映像を見ていただきたい(写真4)。これは真上から真下を捉えたカットである。我々の実生活では、真下を見る機会は滅多にないので、この映像は非常にユニークである。横から撮ってもいいものだろうが、敢えて真上から撮った理由は、レイアウトの映像的な美しさ・奇抜さを出したかったからだと思われる。
映像美のための俯瞰というのは、野心的な映画作家が突然思い出したように見せてくれたりする。あのマーチン・スコセッシも「カジノ」で真上から挑戦したことがあったが、前後のカットとの関連性が浅く、いまひとつであった。極端な俯瞰のカットは、意味も考えて、もっと慎重にやるべきである。
余談だが、チャップリンのカメラは全く逆の意味で興味深い。サイレント時代、トーキー時代の作品を含めて、ほとんどのカットは真っ正面から水平アングルで撮ってあった。カメラの傾け方次第で、登場人物の力関係とか心のあり方とかを感覚的に表現できたはずなのだが、チャップリンは演技だけでそのすべてを表現していたのである。
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