第12回「水戸黄門」(時代劇)

 映画ファンにとって、時代劇といえば、黒澤明が作るような映画を言うが、一般人にとって、時代劇といえばまずは「水戸黄門」であろう。日本人なら一般常識として知らない人はいない。一度もまともに見たことがなくとも、印籠(いんろう)を出して、「この紋所が目に入らぬか」の台詞と、「カッカッカッ」の大笑いは誰でも知っている。昔から続いている長寿番組で、何度もキャストは変わっているが、基本的には構成は何も変わっていない。タイトルバックは昔のままだが、歌もなじみやすいし、あの紋所の構図はほれぼれするものがある。いつの間にかフィルムではなくビデオによる映像になってしまって、陰影を意識した時代劇ももう終わったかと思ったが、ビデオの明るい映像も、見ているうちに不思議と慣れてくるものである。

 僕は昔から西洋かぶれだったので、時代劇は食わず嫌いだったが、それじゃ進歩がないと思って、この前「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)の再放送を初めて見てみた。そしたらそのプロットがまさしく子供向け特撮番組のそれとまったく同じだったことに驚いた。
 僕にとって、子供向け特撮番組と、時代劇はまったく同類のものに思える。正義の味方が最後に悪を叩くという勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の公式はいつも変わらない。映画の時代劇と違ってチャンバラシーンが形式的すぎて少しもスリルがないのだが、敵を前にしてもまったくひるまない無敵ぶりが良いのだろう。そこも特撮番組と似ている。なにより視聴者が主人公を見ていて心底「かっこいい」とあこがれる要素が1時間の放送枠内に凝縮されている。
 恥ずかしながら、「水戸黄門」も僕は今になって初めてまともに見たのだが、これもやはり「暴れん坊将軍」同様に子供向け特撮番組と同じ公式をなぞっていることがわかった。印籠が出てきたとき、嘘みたいにみんなが「ははぁー」といって頭を下げるが、あの音楽といい、何度見ても気持ちが良い。このパターンは絶対に視聴者を裏切るわけにはいけないものである。かつて印籠を出さない回が放送されたことがあったらしいが、評判が悪く、視聴率が落ちたのだとか。この瞬間のために見ているようなものである。特撮番組でいうところの変身シーンにも通じる痛快感がある。

 僕は、学校の先生から起承転結について教わった。先生は「水戸黄門」に例えてこう説いた。「水戸黄門」には必ず3回CMが入る。つまりほぼ1話が均等に4等分に区切られている。これがそれぞれ起承転結になって区切られているというのである。事件が起きるのが起、事件が起きてからの出来事が承、印籠を出して転、すべてが丸くおさまって結である。実際のところ、起は5分、承が30分、転が5分、結が5分といったところで、先生の教えたものとは若干違っているのだが、それでも先生の例え話はわかりやすかった。

 しかし「水戸黄門」というと、やはりスローライフを体現しているようなお年寄りがみる番組というイメージが強い。その証拠に、番組の途中、テロップで「アナログ放送が2011年に終わります」と案内が流れた。普段社会の動きに興味がない人にとっては、こういう時代劇の中で案内しておかなけらばならないのだろう。

水戸黄門
▲第22部のポスター(TBS)

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2006年4月27日