週刊シネママガジンDVD/ガイド発掘ビジュアルマジック番組について

第15回「マジック番組について」(ショー)

 僕は手品が大好きである。僕自身も子供の頃から親指が手から離れる手品を得意としていた。僕はいつも手品番組だけは、欠かさず見てきた。僕が映画のジャンルの中でSFが一番好きなのも、手品番組の影響だと思う。僕にとっては手品番組の方がSF映画よりもよっぽど迫力があった。

<デビッド・カッパーフィールド>
 最初にぶったまげたのがデビッド・カッパーフィールドを見たときだった。スーパーマンみたいに空を飛んだり、ニューヨークの自由の女神を消したり、カッパーフィールドはやることが派手だった。その一方で、演劇とイリュージョンを融合したステージや、愉快なトークショー形式のテーブルマジックなど、ありとあらゆるマジックを得意とした。カッパーフィールドのマジックは他のマジシャンのそれとは段違いに秀でており、娯楽に満ちていた。まだ子供だった僕は、カッパーフィールドは絶対22世紀の未来からやってきた未来人だと信じていたものである。僕はいつもカッパーフィールドの番組を見ることが何よりも楽しみだった。

<Mr.マリック>
 やがて、日本にも手品ブームがやってくる。「超魔術」で有名になったMr.マリックの登場だ。トレバー・ホーンのあのテーマ曲はいつ聴いてもかっこいい。僕はマリックにもかなり熱中した。学校でもマリック・ブームになり、給食用のスプーンを「ハンドパワー」といって力ずくで曲げて見せびらかす連中もいた。何度もマリックの特番が放送されたが、僕はすべて見た。いつしか特番の趣旨が変わり、「マリックのトリックを暴こう」という企画を最後に、マリック・ブームは終わった。しかし、それから何年か経って、「投稿特報王国」で復活し、身の回りの身近なものを使ったユーモラスなマジックで、改めてマリックはすごい男だと世間をうならせた。

<ヒロ・サカイ>
 超魔術が流行っていたころ、ヒロ・サカイも出てきた。この人にもかなり驚いた。爆弾の入った箱の中から脱出するなど、いかにもテレビらしい物々しい演出で有名になった人だ。テレビ朝日の特番で「ちょうまりょく!」と怖い声で叫ぶナレーションを僕は今も覚えている。僕はフーディニの手品は一度も見たことがないけれど、もしかしたらフーディニもヒロ・サカイみたいな人だったのかもしれない。ヒロも当時は手品番組によくゲスト出演していたから僕も結構見ていた。昔はマリックの二番煎じかと思っていたが、今じゃヒロは世界的なトップマジシャンである。

<マジックの種>
 一時期、マジックの種明かしをする番組が流行った。覆面をしたマジシャンが、イリュージョンの種を披露するのである。目の前にある戦車を一瞬にして消すマジックがあったが、この種は単純であった。ただカメラを移動して戦車を消したように見せているだけだったのだ。「なんだ。こんなことか」と思った。マジック自体はものすごく派手だが、種そのものはあまりにもショボイ。種を知りたくなるのは人間の好奇心ってものだけど、知ってしまうと、そのトリックに驚くと共に、なんだか急につまらなくなった。
 とはいえ、どんなにすごいイリュージョンにも、かならず種があることを思えば、トリックを考えた人は本当に凄いと思う。僕は人間の想像の可能性は無限大だという気がしてきた。つまりは、どんな物事でも、見せ方次第では、まったく違ったものに見せることができるということである。僕はマジックを通してそこを学んだ。
 手品には夢がある。手品をするとき、決まって「これはマジック(魔法)です」と言うところが僕は好きだ。本当は魔法じゃないのだけれど、その仕組みは全くわからない。実に不思議である。まったく種がわからない手品を見ると「どうなってるんだろう?」と驚く。この感覚が最高にロマンチックだ。これだけでも幸せになってくる。

<映画もマジックで支えられている>
 今日の映画のほとんどは、マジックによって支えられている。たとえば『ロード・オブ・ザ・リング』だ。これはマジックづくしの映画だった。最初、僕は映画の中の小人たちをどうやって表現しているのかよくわからなかった。実はこれは遠近法を使った「映画のマジック」だった。カメラの近くに立っている人と遠くに立っている人とでは大きさが違って見える初歩的な仕掛けである。こんな簡単なトリックでも、まんまとだまされてしまう。でも、こうしてだまされることが、映画を見る上では心地よいのである。

<セロ>
 最近僕が気に入っているマジシャンが、「ストリート・マジシャン」のセロだ。彼は通行人の前で、ごく身近なものを使って手品を披露する。写真のハンバーガーを本物のハンバーガーに変えたり、りんごの中身をみかんに変えたり、食べ物を使った手品が得意だ。マジック特有の派手さはないが、庶民的で、それでいて実にユニークである。見れば見るほど、いったいどうなってるんだろう?と首を傾げてしまう。セロの手品は「あれ?これっぽちの手品なの?」と思わせておいて、後から意表をつく凄いことをやってくれるから面白い。そのアイデアには座布団をあげたくなる。カッパーフィールド以来のオドロキだが、カッパーフィールドは吹き替えだったのに、セロは日本語で喋るから、すごく親近感がある。先日放送されたセロの特番で、セロが山奥の子供たちの前で手品を披露するところでは、僕は見ていて感動で泣きそうになったくらいだ。手品番組でこんなにじんと来たのは初めてである。

 手品番組を見ても、「どうせ編集してるんだろう」とか「あそこにいる人全員がエキストラなんだよ」とか言ってどうしても認めない人もいるが、それではあまりにも夢がなさすぎる。もっとピュアな心で見てもらいたいものだ。セロも言っているではないか。「考えるんじゃなくて感じるんだ」と。
 余談だが、僕の友達は手品番組の良さが全然わからないという。何度勧めてもなぜかわかってくれない。こんなに素敵なものなのに、何も感じないなんて、なんだか心配になってくるよ。


デビッド・カッパーフィールド
おそらくアメリカではナンバー1のエンターテイナーだ。

 

2006年7月12日