巨匠の歴史
 第2回

ウィリアム・ワイラー
あらゆるジャンルに金字塔をうちたてた、最もハリウッドらしかった監督


William Wyler(1902〜1981)
ハリウッドではかなりの良識派監督。様々なジャンルの作品で手腕を発揮し、緻密かつ整理整頓された演出で、数多くの名作を残す。
   <巨匠の歴史>は、僕が最も力を込めて書いているコーナーである。
 今回は40年代から50年代にハリウッドの頂点に立っていた職人監督ウィリアム・ワイラーに大接近。若い人たちには、「ローマの休日」、「ベンハー」を作った人といえばわかりやすいだろう。

●サミュエル・ゴールドウィンのもとで
 スイス人の両親を持ち、スイスで育ったウィリアム・ワイラーは、母の遠い親戚であるカール・レムリ(ユニヴァーサル・スタジオ社長)に招かれ、ハリウッドに渡る。最初は小道具係だったが、その後脚本事務・配役係り・助監督としだいに昇進し、25年についに監督となる。当時は2巻ものの西部劇ばかりを撮っていたが、やがてビッグ・プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの目にとまり、契約成立。以後は皆が知っての通りの傑作ヒューマン・ドラマを次々と放つのだ。

●良き相棒グレッグ・トーランド
 ワイラーの作品を褒める場合、よくカメラワークが良かったという意見がでる。ワイラーの多くの作品でカメラマンを務めた人物はグレッグ・トーランドだ。そう、「市民ケーン」でパン・フォーカス(遠景と近景の両方にピントが合う)を確立させた男である。トーランドは映画史上紛れもなく最高のカメラマンとして記憶されているが、彼とワイラーは親友同士みたいな感じだったようだ。彼と組んだことで、ワイラーは映像面でも世間をアッと言わせることができたのだ。

●あらゆるジャンルで大成功
 ワイラーの実力は凄い。どんな監督でも、得意なジャンルの作品しか演出しないはずだが、ワイラーの場合は、得意も何も関係なしで、映画ならとにかく緻密に計算して演出してのけるのだ。職人的な監督だったのだろう。だから西部劇(「大いなる西部」)、ロマンスもの(「ローマの休日」)、スペクタクル(「ベン・ハー」左写真)、サスペンス(「必死の逃亡者」)など、何でもできた。

●あの名作もこの名作もワイラーの作品だった
 日本人が一番好きな映画は「ローマの休日」である。これを監督したのはワイラーである。アメリカ人が一番好きな映画は「我等の生涯の最良の年」である。これを監督したのもワイラーである。アカデミー賞を最多11部門で受賞した映画は「ベン・ハー」である。これを監督したのもまたワイラーである。あれもこれもワイラー。発表する作品のほとんどが我々の記憶に鮮明に残っているものばかり。だからアカデミー賞でもしょっちゅう話題の的になるが、実は、ワイラーはアカデミー賞最優秀監督賞にノミネートされた回数が歴代第1位なのだ。

●ワイラーのシンボルは階段だ
 「女相続人」、「ローマの休日」、「コレクター」など、ワイラーの映画には必ずといっていいほど、階段が効果的に使われている。これが本当にうまい。


フィルモグラフィ・リンク

35「お人好しの仙人」
36「この三人」
36「孔雀夫人」
37「デッド・エンド」
38「黒蘭の女」
39「嵐が丘」
40「月光の女」
40「西部の男」
41「偽りの花園」
42「ミニヴァー夫人」
46「我等の生涯の最良の年」
49「女相続人」
51「探偵物語」
52「黄昏」
53「ローマの休日」
55「必死の逃亡者」
56「友情ある説得」
58「大いなる西部」
59「ベン・ハー」
62「噂の二人」
64「コレクター」
66「おしゃれ泥棒」
68「ファニー・ガール」
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