巨匠の歴史
 第29回

スタンリー・クレイマー
自ら監督になった異色プロデューサー
 


Stanley Kramer (1913〜2001)
  ●こうなりゃ自分が会社作るしかねえ
 クレイマーの映画人生はとても興味深い。彼の映画界に入るきっかけは、雑誌に寄稿した文章を20世紀フォックスのスカウトマンに読まれたことである。ここから同社のシナリオ・ライター研究生として採用されるのだが、結局は掃除番に落ちぶれ、他の人の10分の1の給料ももらえぬまま、クビになる。が、企画を書く楽しみを覚えたクレイマーはMGMに売り込み、今度は何とか編集見習いとして採用される。が、彼の企画は映画化されぬまま、三年間が経った。次に入社したのはコロンビアである。この会社でようやく自分の企画が売れたのだが、ところがここでも結局映画化はされず。この後、再びMGMに戻っているが、共同製作の仕事や、ラジオ番組の仕事などをするも、大した評価は得られず。こうなったら自分がプロデュースするしかないと悟ったクレイマーは、47年自分でプロダクションを設立。「チャンピオン」などを製作して、これが見事大当たり。カーク・ダグラス、ディミトリ・ティオムキンといった偉大な人物も発掘して、「シラノ・ド・ベルジュラック」でホセ・フェラー、「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーにオスカーをもたらすなど、絶好調の仕事ぶりを見せつけた。

●プロデュースだけじゃ物足りねえ
 もともと映画作りに大変な興味を持つものだから、プロデュースだけでは物足りないと感じたクレイマーは、自ら監督業に躍り出た。55年からは自分のプロデュース作品は、すべて自分がメガホンをとっている。これは極めて稀なケースだ。
ニュールンベルグ裁判 クレイマーの監督作品は面白かった。硬派な社会派ドラマから、ドタバタ喜劇まで、演出にキレがあった。また彼の面白いところは、スペンサー・トレイシーを例外として、決して同じ俳優を何度も起用しないということである。必ず彼は違う役者を起用して作品を仕上げた。しかもクレイマーはほとんどの役者を自作で名優に仕立て上げている。「手錠のまゝの脱獄」ではトニー・カーチスとシドニー・ポワチエが二人仲良くオスカーにノミネートされ、「招かれざる客」ではキャサリン・ヘプバーンが主演女優賞を受賞、トレイシーも候補にあがった。「ニュールンベルグ裁判」ではなんと4人の俳優がオスカーに同時ノミネート、マクシミリアン・シェルは主演男優賞を受賞している。この「ニュールンベルグ裁判」はハリウッド屈指のオールスター映画であるが、ここまで名優たちを揃えることができるというのは、いかにクレイマーがプロデューサーとして信頼されていたかの表れである。本当にクレイマーは役者の魅力を引き出すのが上手だったということだ。

 フィルモグラフィ
49 チャンピオン
50 男たち
50 シラノ・ド・ベルジュラック
51 セールスマンの死
52 真昼の決闘
52 白昼の脱獄
53 乱暴者(あばれもの)
54 ケイン号の叛乱
(以降からは監督も兼ねる)
55 見知らぬ人でなく
57 誇りと情熱
58 手錠のまゝの脱獄
59 渚にて
61 ニュールンベルグ裁判
63 おかしなおかしなおかしな世界
63 愛の奇跡
64 ガンファイトへの招待
65 愚か者の船
67 招かれざる客
69 サンタ・ビットリアの秘密
70 R.P.M.
71 動物と子供たちの詩
73 オクラホマ巨人
76 ドミノ・ターゲット
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