アイズ・ワイド・シャット
Eyes Wide Shut

★★★★★

【R指定】
<1999年/サスペンス>
製作・監督・脚本:スタンリー・キューブリック
原作:ポール・シュニッツラー/脚本:フレデリック・ラファエル
出演:トム・クルーズ、シドニー・ポラック、ニコール・キッドマン

 

●心理を描いた映画
 この映画が素晴らしいのは、人の心理について考えた映画だからである。ほとんどのシーンが主人公である医師の主観から描かれていることから、僕はとくに男性の心理について考えた映画だと思っている。この映画が見れば見るほど面白い理由は、主人公の僅かな心の変化が、映像の中に見えてくるからである。見れば見るほど、そのディテールに驚かされる。
 僕は最初この映画を見たとき、これは夫婦生活の実体をさらけ出した作品だと思った。オープニングのシークェンスは、その点ではすごく入りやすかった。トイレで急いで着替える夫婦の姿が、僕にはやたらとリアルに見え、馴染みやすかったのである。また、夫の平凡な一日(女性患者を診察している様子)と、妻の平凡な一日(脇を匂っている様子)をカットバックで見せているのも面白い。このとき二人は別の異性を意識しているのかどうか暗示的である。エロ映画とはいわれていても、この映画に描かれているものは、色気とは別ものの真面目な話である。
 前半のディナーパーティのシーンもいい。あんなに大勢人がいる空間で、異性に刺激を感じないわけがない。そこに抱く夫婦間の不安は、つづく寝室のシーンで語られる。ここでの二人の会話はもっとも興味深い。男というものは女を求めるもの。ならば夫は女をもとめたのか? 妻を信じていればストイックになれる。ならば女は男を求めないとでもいうのか? そういう本音か嘘かの会話がシリアスに展開していく。
 主人公の医師は、自分が妻以外の女を抱くことよりも、妻が自分以外の男を抱いているのではないかという妄想に陥る。それがフラッシュバックのようにモノクロームの映像で挿入されるが、妄想の中で、妻が自ら下着を脱いで別の男を受け入れているところに意味がある。その妄想は、時が経つほどエスカレートし、しだいに激しいベッドシーンへと突き進む。それをかき消したいのか、嫉妬がそうさせたのか、娼婦を買うも、妻のことが頭に映り(家でくつろいでいる妻の映像の絶妙のカットバック)、お預け。その後も、患者の娘に電話したり、娼婦の友人を抱こうとしたりが、やはりポーズをかける。

  

●屋敷のシーケンス
 旧友の「あんな女みたことない」というミステリアスな一言をきいた主人公は、好奇心からとある屋敷に潜入。そこから映画はどんどん恐ろしい展開に入っていく。
 屋敷内の映像はキューブリックのカメラワークと空間美が冴え渡り、芸術的風格さえある。室内装飾、音楽、キャメラワーク(キューブリック御得意の移動撮影も健在)、ライティング、演技、カッティング、それぞれに非の打ち所がない。ステディカムを使ったと思われるロングショットの静かな構図の中に、激しくおぞましい映像が映し出され、クロースアップの仮面の映像からは、中の顔の表情が見て取れる。
 この映画が2時間40分という長尺でありながら、時間の長さを感じさせない所以のひとつは、そういった映画的キャメラワークの刺激であろう。カラーになってからのキューブリック作品は、とくに色遣いが見応えがあったのだが、粒子が粗く、寒い色合いを使った「アイズ・ワイド・シャット」もまた独特で、本当にキューブリックという巨匠を失ったことが悔やまれる。

  

トム・クルーズは沈黙で語る
 トム・クルーズは実にうまい。彼のキャリアの中では、最高の演技だといっていいだろう。息づかいから見事である。この映画のトムは、沈黙だけで心の変化を表現してみせた。ちょっとしたにやけ顔にも意味がある。
 例えば、妻が性的妄想を抱いたことを話しているときの演技。医師はじっと黙っているだけだ。しかし頭の中で何かを考えていることがわかる。その後、電話がなるが、このときのトムの演技に注目。3回目のコールで目が正気に戻る。目から語られる事柄は計り知れないのだ。
 トムの演技で、僕が一番気にいっているのは、追跡されているという不安の中、喫茶店に入って新聞の記事を見るところ。セリフは「カプチーノ・プリーズ」だけだが、トムの目線、表情、しぐさ、息づかいが実にうまい。
 帰宅してからの演技も見てもらいたい。屋敷で恐ろしい体験をした日は、家に入ると、そっとドアにチェーンをかけ、不安な表情を見せる。それに対して、一段落してからは、帰宅してもチェーンをかけず、安心した様子を見せる。この差がまた良い。

  

●話題性は強かったが理解者を得られず
 日本ではR-18指定で公開されることが決まって、主演の二人のネームバリューもあり、公開前からかなり話題性の強かった作品だが、キューブリックをろくに知らない観客たちには、この内容はちょっと体質に合わなかったようで、必要以上に駄作扱いされてしまった作品である。アカデミー賞からは完全無視。高く評価した批評家もあまりいなかったような気がする。今では世間一般で「期待外れ」の代名詞みたいな感じに扱われることが多くなって、僕はとてもがっかりである。キューブリックの映画は見れば見るほど面白いのに。しかし「アイズ・ワイド・シャット」は、数年後には今のように不当に評価されることはなくなるだろう。本当はとんでもない大傑作なのだから。世間がその良さに気付くのには、まだまだ時間が必要である。

  


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(第76週号 「レビュー」掲載)