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解説 |
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コミカルとシリアスの割合は、寅が7:3だったのに対し、満男は3:7と、まったく逆である。満男に主導権が渡ってから、作品はずいぶんと切実なものになってくるわけだが、登場人物で一人だけ幸せ物役として場を盛り上げる寅の存在は貴重である。しかし、映画の最後、満男は「おじさんは本当に幸せなのだろうか?」と疑問を投げかけているため、寅のあの明るい振る舞いさえも悲しいものに思わせるほど、この作品は深い。
これも前作と同じく満男が独り立ちしていく物語である。満男はどうしても独り暮らしを始めたいが、親はそれに反対する。その後、満男と泉が同じ部屋で語り合っているのを、下の階から親が、もしや一線を越えないかと、心配している様子が描かれ、親が息子の独り暮らしでもっとも気がかりなものは、生活費のことではなく、女だということが暗示されている。
シリーズで描かれている大きなテーマは、「恋愛というものは本当にわからないもの」であり、満男は寅以上に不器用で、そのテーマもより強調される。泉が満男の前で涙を見せるシーンがあるが、もし女が男の前で涙を見せたとき、男はどうすればいいのだろう。たいていの男はとまどってしまうだろうが、悩んでいる時間はない。ここで何かをしてあげなければいけないのだが、さて何をすればいい? 男の価値観はここで決まる。女性が男性に求めているものは、包容力である。寅には女性を抱く度胸はなくとも、やさしい言葉をかけることができる。しかし、満男にはそんな取り柄もない。ただ「泣くなよ」としか言えないのであった。寅と泉の母の寝台車でのやりとりも、これと同じ部類のシーンと言える。へべれけに酔った泉の母は、泣きついて寅の手を握ってくる。こんなとき、男はどうしてあげればいいのだろうか。寅の動揺しきった様子が、手の映像だけで描かれているが、山田は恋愛の難しさを実に巧みに表したものである。
これを見て気づくのは、登場人物の比重がみんな平等だということ。寅、満男、泉、泉の母、4人のドラマが並列に描写されている。それぞれに悩みがあり、それぞれにドラマがある。ちょっとしか登場しない泉の父とその愛人からも、複雑なドラマを連想させるのである。東京にいる満男も、さくらも、名古屋に暮らす泉も、九州に移住した泉の父も、みんな人生を歩んでいる。これは、世界のどこにでも、そこに町があり、人がいて、生活があり、ドラマがあるのだということ。自分がちっぽけに思えてしまうほどポエティックな内容である。 |
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