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解説 |
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ここからシリーズの作風は一変する。主人公であるはずの寅がサポーティングにまわり、物語は満男の主幹となる。今風のポップスをBGMに用いて、スタイルもずっと若々しくなるのである。「男はつらいよ」は日本の恋愛映画の金字塔をうちたてたシリーズであるが、これだけ長く続けていても、まだ描き切れてなかったところが、思春期の複雑な恋心、性的好奇心であって、42話にして、ようやくそこにスポットをあてた、これは山田の大きな挑戦であった。公開までに障害は色々あったろう。登場人物は同じでも、「男はつらいよ」とはまるで別の物になってしまったこの作品を、はたして観客は受け入れてくれるのか。開けてみると、それは山田の自信に満ちた青春ロードムービーの傑作であった。寅とマドンナの不在。落語的ユーモアの消失。しかし、それに代わる満男の独立の物語は、作品のクオリティを決して損うことなく、しかもそれは寅の存在を大いに称えた作りになっていた。
チアリーダーのパンツを遠くから覗いたり、女の子とバイクに二人乗りして、体を寄せ合って幸福に浸る満男の姿は、ありありと正直に描かれている。満男は不器用で神経過敏な青年であり、いかにも山田映画らしいキャラクターであるが、これは不器用で神経過敏な人間こそがステロタイプであるとする山田の考えならではの、自伝的とも推測できる人物像であるからして、心の内を暴露していく赤裸々の描写法が、観客達のノスタルジーを思い起こさせ、胸一杯の感動を与えてくれるだろう。純愛とは、すなわち性欲だということである。 |
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