このころ、渥美清の様態は世間が思っている以上に悪化していた。もはや年2回の映画出演には無理があった。そこで、山田監督は渥美に海外療養を計画し、次回作の舞台をウィーンに決定した。仕事とはいえ、のびのびと撮影している様子は作品からもうかがえる。
しかし、山田はなぜウィーンを選んだのか。「男はつらいよ」は日本人の心を描いた純和風の物語であったが、考えてみれば、BGMにはシュトラウス、シューベルトのクラシック音楽を幾度も使ってきたのである。そのため、ウィーンでのシリーズの人気は上々で、世界で唯一の寅さんファン・クラブまで結成されたほどだった。意外にも、「男はつらいよ」とウィーンは、以前から親密な仲にあったわけである。「寅次郎、海外へ」・・・旅の映画とはいえ、まさか寅が外国を歩くことになるとは、ファンも製作者側も想像しなかっただろう。40作以上も作り続ければ、一本くらい海外を舞台にしてみるのも、案外ファンの好奇心をくすぐって面白いかもしれない。観客はいつにも増して期待と不安を胸に、この映画を見ることになる。世界一日本人らしい寅が、いかにしてウィーンにいくことになるのか、また、寅はウィーンでいったい何をしでかしてくれるのか。興味はつきない。シリーズ特有の日本文化が描かれていないという批判の声もあるだろうが、寅の人情味の普遍性を表した重要な作品であることは間違いない。
サブタイトルは「心の旅路」だが、うまく命名したものである。寅は帰国して「俺は本当にウィーンへ行ってきたのか」とつぶやき、観客を煙に巻く。見た目も内容も他とはまったく異なるために、最後に観客はまるで夢を見ていたような、不思議な浮遊感を覚えることになる。本作は思いの外メンタルな内容なのである。このシリーズが、なぜ人の胸を打つのか、その答えはここに隠されているのかもしれない。故郷ってなんだろう。愛することってなんだろう。人生ってなんだろう。そんなことをボーっと考えさせるこのシリーズは、ヴィム・ヴェンダースのロード・ムービーにも匹敵する精神性に裏付けられている。
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