デート・シーンで、寅とはるみがとても幸せそうだ。二人が同じ旅館に泊まるところでは、酔ったはるみがふらっと寅によりかかる。寅は「大丈夫か」と言ってはるみの肩を握る。はるみは小さな手で寅の大きな手を撫でる。寅がここまで女性と親密になることは滅多にない。山田監督のペッティングの描写にはまるで嫌味ったらしさがなく、純情な若者が思い描くような憧憬がスラップスティックの中に表されている。
この映画を単なるロマンチック・コメディと思うのも構わないが、本当はそんな生半可なものではない。寅が誰にも手の届かない人と一緒にいる優越感に浸り、はるみには知らないふりをして、他人にそれを見せびらかす偽善者的な一面を隠し持っていることは否定できないのである。そこが本作のリアリズムである。
寅ははるみの愛を確信し、まるでシェイクスピア劇の主人公になったかのように盲目になるが、後々、はるみの心が元彼に向けられていたことを知らされ、打ちひしがれる。寅は所詮二またの二番手だったということに傷つき、自分は最初からはるみに気がなかったように振る舞おうとする。はるみが近所の人たちの前で、カラオケを披露しても、寅はあくまで自分がはるみと親しい友人であることを見せびらかすため、部屋にひっこんでいる。ここで、壁の隙間からはるみをじっと見る寅の目が泣かせる。
寅はあえて、はるみが誘ったリサイタルには出席しない。理由は「今が稼ぎ時だから」。本当はそんな理由でないことくらい、はるみにもわかるが、寅の狙いは、そうやってはるみに当て付けて、悪いと思わせることにある。悲劇の主人公を気取っているのである。その正直なまでの人間臭さが、共感を呼ぶのだ。 |