映画界のタイクーンたち

 この部屋では、ハリウッド黄金時代に君臨した、スタジオの重役であり大物のプロデューサー(すなわちタイクーン)に敬意を表し、彼らの功績を称える。
ゴールドウィン
サミュエル・ゴールドウィン

 ポーランド生まれのユダヤ人。
 「嵐が丘」「我等の生涯の最良の年」など、ウィリアム・ワイラーと組んで良質のヒューマンドラマを製作した敏腕プロデューサーである。
 彼の撮影所は後にパラマウント・スタジオとなる。
 MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の設立者の一人でもある。
 異名は「ハリウッドの父」。
タールバーグ
アーヴィング・G・タールバーグ

 20代にしてユニヴァーサル・スタジオとMGMを大会社に育てた大君である。
 「メリイ・ウィドウ」「群衆」「南海征服」「グランド・ホテル」などを製作。
 37歳の若さで他界。翌年から、アカデミー賞では優れたプロデューサーに対してアーヴィング・G・タールバーグ賞を表彰することになった。
 夫人はノーマ・シアラー。
ディズニー
ウォルト・ディズニー

 ディズニー映画社を設立したアニメーション作家。
 「蒸気船ウィリー」でミッキーマウスを創造し、そのキャラクターはアメリカ文化のシンボルとなる。
 代表作は「白雪姫」「ピノキオ」「ファンタジア」
 ドキュメンタリー映画や短編映画も多数製作し、アカデミー賞受賞回数のべ32回の最多記録保持者である。
ダリル・F・ザナック
ダリル・F・ザナック

 1931年にワーナー・ブラザーズのプロデューサーを担当した後、33年に20世紀フォックスを設立した帝王。
 「わが谷は緑なりき」「怒りの葡萄」「紳士協定」「イヴの総て」「史上最大の作戦」など、10作品以上がアカデミー賞にノミネートされた実力派である。
 タールバーグ賞も3度受賞している。
セルズニック
デイヴィッド・O・セルズニック

 映画史上に名高い「風と共に去りぬ」をほとんど一人で完成させた、不世出の天才プロデューサー。
 その翌年も「レベッカ」でヒッチコックをハリウッドに招き、グローバルな視野で世界の映画監督を指揮した一匹狼である。
 他の作品に「キング・コング」「第三の男」「白昼の決闘」などがある。
 夫人はジェニファー・ジョーンズ。

 

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