映画界のタイクーンたち
この部屋では、ハリウッド黄金時代に君臨した、スタジオの重役であり大物のプロデューサー(すなわちタイクーン)に敬意を表し、彼らの功績を称える。
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ポーランド生まれのユダヤ人。 「嵐が丘」、「我等の生涯の最良の年」など、ウィリアム・ワイラーと組んで良質のヒューマンドラマを製作した敏腕プロデューサーである。 彼の撮影所は後にパラマウント・スタジオとなる。 MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の設立者の一人でもある。 異名は「ハリウッドの父」。 |
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20代にしてユニヴァーサル・スタジオとMGMを大会社に育てた大君である。 「メリイ・ウィドウ」、「群衆」、「南海征服」、「グランド・ホテル」などを製作。 37歳の若さで他界。翌年から、アカデミー賞では優れたプロデューサーに対してアーヴィング・G・タールバーグ賞を表彰することになった。 夫人はノーマ・シアラー。 |
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ディズニー映画社を設立したアニメーション作家。 「蒸気船ウィリー」でミッキーマウスを創造し、そのキャラクターはアメリカ文化のシンボルとなる。 代表作は「白雪姫」、「ピノキオ」、「ファンタジア」。 ドキュメンタリー映画や短編映画も多数製作し、アカデミー賞受賞回数のべ32回の最多記録保持者である。 |
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1931年にワーナー・ブラザーズのプロデューサーを担当した後、33年に20世紀フォックスを設立した帝王。 「わが谷は緑なりき」、「怒りの葡萄」、「紳士協定」、「イヴの総て」、「史上最大の作戦」など、10作品以上がアカデミー賞にノミネートされた実力派である。 タールバーグ賞も3度受賞している。 |
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映画史上に名高い「風と共に去りぬ」をほとんど一人で完成させた、不世出の天才プロデューサー。 その翌年も「レベッカ」でヒッチコックをハリウッドに招き、グローバルな視野で世界の映画監督を指揮した一匹狼である。 他の作品に「キング・コング」、「第三の男」、「白昼の決闘」などがある。 夫人はジェニファー・ジョーンズ。 |