週刊シネママガジン特別企画映画史博物館2006年殿堂入り発表
トゥモロー・ワールド

≪編集長論評≫ここ数年間、近未来を舞台にした映画といえば、いかにも現実と掛け離れすぎた子供騙しのものばかりで、まったくもって嘘臭く、辟易させるものばかりだったが、この年、久しぶりに堂々と「俺はこの映画が好きだ!」と力説できるSF映画が誕生した。イギリス映画のドライな作風とアメリカ映画なりの確たる演出力が同居した『トゥモロー・ワールド』は、こだわり派のSF映画マニアを満足させてくれる要素でいっぱいだ。人類が誰一人として妊娠しなくなった未来社会を描いた作品で、国政、テロ、人種差別など、硬派な内容をサスペンスを盛りこみながらも崇高なタッチで描き上げている。

 この映画にはただならぬリアリティがある。ここで言うリアリティとは、現実的な世界描写という意味ではなく、「その場にいるような臨場感」を意味している。その最たる理由は、この映画が完全たる主人公の一人称視点の映画ということである。これは全編を通して主人公クライヴ・オーウェンの視点映像で構成されており、鑑賞者は、否が応にもこの悲惨な主人公と同化させられてしまうことになる。主人公を取り巻く登場人物たちが、その後死んだか生き残ったか、そういうことは描かれない。観客が見るのは、主人公の辿る道だけである。悲惨な光景を主人公の視点から遠目で覗くロングショットの映像は脳裏に鮮烈な印象を叩きつける。

 長回しの映像はただただ驚異的だ。主人公の身に危険が迫るシーンの多くはワンショットで撮影されている(実際にはワンショットであるかのように編集でつなげられている)。5分にも及ぶ壮絶な蜂起のシーンでは、飛び交う銃弾を避けながら走る様が、ステディカムで延々と撮影され、圧倒的な臨場感を生みだしている。

 この他、人気スターであるジュリアン・ムーアを登場させるなり、感傷に浸る余韻もなくあっけなく殺してしまうなど、観客に迎合しないその冷徹な演出は高く評価され、カルト的な人気を獲得することになった。

 余談だが、ディープ・パープルキング・クリムゾンなど、劇中使用されるロックソングの選曲も一癖あるもので、工場や空を飛ぶ豚など、ところどころにカットインされるロックのシンボルが密かにマニアの間で話題にあがった。ジョン・レノンの<Bring On The Lucie>はそのメッセージが効果的に利用されており、ジョン・レノンの歌を使用した数ある映画の中でも白眉の出来といえる。
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ブロークバック・マウンテン

≪寸評≫この年の話題を独占した観もあるアン・リー監督お得意のホモ映画。勇壮な大自然、アコースティックギターによる美しい響きをバックに、1年また1年と、気がつけば年月だけが流れていくその時間の感覚が秀逸。2人の男がそれぞれの人生を歩み、家庭が崩壊していく様を対比的に描いていくあたりも長い長い大河ドラマを見ているよう。ヒース・レジャーの不器用な話し方がたまらない。
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ブロークン・フラワーズ

≪寸評≫昔の彼女とおぼしき誰かがくれた手紙の送り主を特定するため、今まで付き合った彼女たち(キャスティングが絶妙)を訪ねて回るジャームッシュ十八番のロードムービー。趣味の悪い友達がくれた音楽テープをどうでもいい感じで聴く主人公の律儀さが笑える。コメディはコメディだが、このかつてないビミョーな脱力感。ベテラン映画の作品はつまらないというジンクスを覆す珍作。
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2006年日本映画この1本「武士の一分」

山田洋次の3本目の時代劇。『たそがれ清平衛』、『隠し剣 鬼の爪』から、観客の間では「またかよ」という観はあったが、ふたを開けてみると前2作に劣らぬ大傑作であった。前2作よりもより静かなタッチになっているが、中だるみすることなく、最後までぐいぐいと引っ張る手際はさすが巨匠山田洋次。クライマックスに決闘シーンがあるあたり、前2作から見ている人にとっては「待ってました」と嬉しくなる。木村拓哉が主演になったということで、公開前から何かと話題になったが、公開1ヶ月前まで木村拓哉が演じた主人公の顔を一切表に出さないマーケティング方式が功を奏していた。日本アカデミー賞は最多で受賞したが、公開前から最有力といわれた主演男優賞のみ受賞していない。これは木村拓哉の事務所の方針で辞退したためである。主演女優の壇れいはこの作品からその年一躍日本の人気女優となった。DVDはこちら

ドン・チードル フィリップ・シーモア・ホフマン シャーリーズ・セロン
≪ワンポイント≫ 2006年は一言で言えば社会映画の1年。その中でも忘れてならぬのが実話をもとにした『ホテル・ルワンダ』だ。「こんなことがあったのか」と息を呑む映画。ドン・チードルの演技は、まさに身に差し迫る命の危険をまざまざと感じさせるものだった。 ≪ワンポイント≫ 伝説的な作家トルーマン・カポーティを演じ、アカデミー賞にノミネート。喋り方も思考回路もちょっと独特だが、その天才的な奇人ぶりをユーモラスに演じた。一方、ブロックバスター映画の悪役にも抜擢され、この年最も名を上げた俳優になった。 ≪ワンポイント≫ この女優のこと、かなり見くびっていたようだ。ただの清純派かと思っていたら、いや彼女はどんな役でもできる演技派だったんだなあ。主演作2作の出来はまあまあだが、女性差別と戦う強い女と、アクロバチックなヒロインを体当たりで演じ晴れて殿堂入り。
≪2006年の映画の出来事≫ この年のビッグニュースは、パラマウントがドリームワークスを買収したことと、日本映画が21年ぶりに洋画の興行収入を上回ったことである。日本映画がでは『ゲド戦記』、『海猿』、『THE有頂天ホテル』、『日本沈没』、『デスノート』がヒット。一方、『フラガール』、『かもめ食堂』など、単館系の映画が健闘した。洋画では『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『ハリー・ポッター』、『ミッション:インポッシブル』シリーズが依然人気が高いが、『ダヴィンチ・コード』がヒットし、日本ではちょっとしたダヴィンチブームになったものだった。キネマ旬報では戦争を日米それぞれの視点に立って描く『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』の<硫黄島2部作>が上位を独占し、クリント・イーストウッド様々だったが、アカデミー賞は『クラッシュ』が獲得した。

2007年12月28日