■戦国時代にしんちゃんが乱入したらどうなる?

 戦国時代にしんちゃんがタイムスリップ。恋に戦に大奮闘する作品。

 「クレヨンしんちゃん」はあなどれない。毎週放送しているテレビ版も内容が濃く、よくできていると思うが、映画版はまた別の意味で見事である。
 映画版をあなどれない訳は、「しんちゃんの方が映画に付いてきた」という感じだからである。制作者側はそんなつもりで作ったつもりではないかもしれないが、我々観客の立場からしてみると、これは「クレヨンしんちゃん」の映画ではない。しんちゃんはいわばゲストの存在である。大迫力の合戦シーンもあれば、かっこいい殺陣もあるので、もししんちゃんが出てこなくとも、本作は一本の物語として充分通用しうる内容であろう。そこに、しんちゃんというトラブルメーカーを投げ込んでみたらどうなるか?という発想から作品は肉付けされていく。しんちゃんという存在が、時代劇の決まり切ったシーンに笑いと感動を与えるのである。つまり本作は時代劇のパロディである。「パロディ」という要素は、「クレヨンしんちゃん」において最も意味深い要素である。

 しんちゃんのギャグセンスは絶妙である。ほんとうにいいタイミングでお尻を丸出ししてくれて、おいしいキャラである。しんちゃんのギャグは、見た目に面白いが、実は大まじめなことなのである。一発ギャグをかましてハイ終わりではなく、ストーリー上、しんちゃんのギャグは外すことはできない。感動的なシーンになっても、しんちゃんのナンセンスギャグは止まらないが、ちゃんとその場の雰囲気を持続させており、しんちゃんのおかしさが感傷的なストーリーと互いに作用しあっている。大笑いしながらも目から涙がこぼれてくることもあるのである。本作の評価のすべては、しんちゃんの演技の賜物である。

 

2002年/東宝映画

監督・脚本>
原恵一

<出演>
矢島晶子
藤原啓治
ならはしみき
屋良有作

(第99号「レビュー」掲載)

 

 

■崇高にしたつもりでおセンチ

 横山光輝の漫画「バビル2世」のアニメ化作品。
 「バビル2世」は僕の一番好きな漫画のひとつなので、この原作のことについても書かせてもらう。「バビル2世」は善と悪の超能力対決を描いた漫画である。実はこれ、正義の味方は1人+3体だけで、敵も1人+雑魚しかおらず、両者とも電気ショックくらいしか技がない。電気ショックだけで善と悪の1対1の戦いを膨らませて連載していたのである。もちろんその他にサブストーリーもあるが、メインは単純である。だからきっと2時間弱のアニメにも簡単に収まるものだと思っていた。

 しかし違った。僕なら、メインの善と悪の1対1の対決だけを膨らましただろうが、このアニメは登場人物を増やし、サブストーリーをいっぱい盛り込んで、質よりも量で攻めてしまった。そこが本作をくどくて退屈なものにしている。別に原作と違うから面白くないといっているのではないが、ただ主人公が次々と敵をやっつけてそれで終わりというのはあまりにもつまらない。新しい敵が出てくるたびに「またか」と思ってしまうのでる。また、セル画、効果音も使い回しが多く、少しも迫力がない。日本のアニメはこうもレベルが低いものだったのか? やはりアニメでは漫画独特の自由な表現領域に達することができなかった。

 単調になるのを避けるためか、原作にはまったく登場しない女キャラを登場させて、ちょっとメロドラマっぽさを出しているみたいだが、場違いもいいところである。女のところだけ話がのろのろしていて、うっとうしい。
 原作の「バビル2世」は崇高な漫画である。最高のパワーを持つ主人公は恐ろしく強く、敵側はなすすべがない。冷血な主人公と、たじたじの敵とでは、敵の方が人間臭く、可哀相に思えてくることもあり、主人公の存在が作品を崇高なものにしている。このアニメ版は、その崇高さも、女キャラとのおセンチのせいで消滅している。主人公が人間臭くなりすぎたのである。もうちょっと主人公の霊的存在を強調して描けば、本作も哲学的な傑作になりえたかもしれない。そう僕は思った。

 

1992年/日本映画

監督>
まつもとよしひさ

<出演>
草尾毅

(第99号「レビュー」掲載)

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