週刊シネママガジン作品紹介レビューアニメーション映画特集

クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ!

栄光のヤキニクロード

(シンエイ動画・ブランド)
★★★★

 


 ほとんどのアニメーターはリミテッド・アニメの呪縛から逃げられず、決まり切った古いルールに則って作品を形にしていく。ゆえに、アニメの世界はまだまだ未開拓な部分が多く、だからこそ、アニメーターたちは自分たちが幸運な環境にいると自覚しなければならい。未開拓だから開拓の余地も大きいわけで、アニメーターが、作品の中で何を試そうが、それは真新しい映像になることは間違いない。
 この映画では、思いがけないカメラワークがところどころで見られる。このシリーズがいつもことごとく面白いのは、リミテッド・アニメという制約の中にいながらも、アニメーターがアニメの未開拓地に踏み込んでいるからだ。アメリカのアニメーション映画は、一般に、ディズニー含め「動くもの」は人間や動物などのキャラクターであり、顔の表情や体のモーションが映像の価値を左右しているが、日本のリミテッド・アニメは、セル画の枚数も限られているため、キャラクターを細かく動かすことができず、そのため「何を」動かすかが決め手となる。「クレヨンしんちゃん」は、キャラクターは極力動いておらず、背景の方がダイナミックに動いている。重要なことは、あくまでリミテッド・アニメの既存の制約に囚われずに、やけっぱちともいえる作風をこの制限下で貫徹したことである。中でも、ヒッチハイクのシーンは賞賛に値する。

ドラえもん
のび太のワンニャン時空伝

(シンエイ動画・ブランド)
★★★★
 


 「ドラえもん」を見て常々思うのは、「ドラえもん」という概念のパワーである。まずは内容はさておき、「ドラえもん」というだけで説得力がある。映画について語るとき、はたして内容だけで映画の価値を決めてよいものかと、僕はここに改めて悩まされたのである。内容を見る前に、既成概念の効力も忘れてはならないのだ。
 「ドラえもん」の映画の面白いところは、レギュラーのキャラクターたちが、自分たちの世界とはまるで違う未知の世界に訪れること。未知の世界の作り込みは毎度のことスケールが大きい。当然のごとく、いつも何らかの理由でドラえもんたちは未知の世界に足留めとなる。ドラえもんたちはその世界の住民たちと仲良くなるが、映画の最後には必ず辛い別れが待っている。「これっきり」という一期一会的な世界観と、必ず一回り成長するのび太の雄姿の2点こそ、「ドラえもん」映画の古典的な法則である。これは極度にパターン化されているため、観客も観る前からわかりきっているのだが、それでもこのシリーズが大人の鑑賞に耐えるのは、無意識的に人間心理を突いているからではないか。「ワンニャン時空伝」の場合は、死の淵にくる直前まで主人を待ち続けたワン公の姿が、意識せずとも、忠犬ハチ公という普遍的な感動要素を知らず知らずのうちに喚起し、のび太のヒーロー化という心理的に心地よい出来事に結びつけていく。さらに、子供のころから現在までに我々の心の中にいつまでも宿る「ドラえもん」という生きた概念と融合するのだから、そのパワーは絶大だ。僕はこの年になって、ますます「ドラえもん」が面白くなってきた。

ファインディング・ニモ
(米ピクサー・ブランド)
★★★1/2
 


 「トイ・ストーリー」の衝撃からだいぶ歳月が経ったが、いまだにピクサーのCG映像が心を揺さぶるのは、常にポイント・オブ・ビューを意識した映像に徹しているからだろう。ディズニー映画の諸作品では、あくまで観客は傍観者みたいなものであったが、ピクサー映画の場合は、観客は登場人物と同じ目線で映画の世界の中心に立たされることになる。アニメーション映画においては、これは珍しいことであり、日本のアニメでもあまり見られないスタイルである。水槽は外側から撮るのではなく、内側から撮る。自分が同じ立場に立っているから、CGの映像も目前に大きく差し迫って圧倒的だ。クラゲの大群や鯨の口の中が本当に怖いは、自分がちっぽけな魚と同じ目線だからである。上質な映像は、親子愛を描いた健全なる上質のストーリーに支えられ、内容と形式が見事な相乗効果を上げている。
 最後に、キャラクターたちのおかしみたっぷりの「動き」についても褒めておきたい。ヤドカリやカモメなどは、動きこそがジョークみたいなものだ。DVD

Pa-Pa-Pa ザ・ムービー
パーマン
タコDEポン!アシHAポン!

(シンエイ動画・ブランド)
★★★1/2
 


 僕は中学より、再放送で見た「パーマン」の残酷性に気づいていた。パーマンとみつ夫君の精神的ギャップの悲劇に。みつ夫君は、ひとたび正義の味方パーマンに変身すると、日本中から尊敬の眼差しを向けられるが、本当の自分に戻ると、他人からバカにされてばかり。しかし、みつ夫君は自分がパーマンであることを言うわけにはいかない。片思いの女の子は、パーマンに憧れているが、自分には見向きもしない。僕は子供心にこの残酷さに涙したことがある(もっとも、このことを友達に話しても笑われるだけだったが)。そうなると、「パーマン」で考えられるもっとも劇的な出来事といえば、パーマンの正体がバレること、そこに尽きる。この映画では、まさにそこが描かれているのである。テレビ放映時から今日までだいぶ空白期間があったが、テレビと同じ声優を起用し、本来のイメージを損なわぬまま、テレビでは見られなかったifがついに明らかになった。スミレちゃんに正体を見られたみつ夫君は、一度は自暴自棄に陥ってしまうが、スミレちゃんに励まされて立ち直り、パーマンの変身セットを使わずに、自分がパーマンだった時以上の大活躍を見せる。そしてスミレちゃんはパーマンではなく、みつ夫君のその雄姿に恋をするのだ。「パーマン」の残酷性を知っていた僕としては、これほど心躍る出来事はなかった。

イノセンス
(プロダクションI.G・ブランド)
★★★1/2
 


 海外でも熱狂的な信者の多い押井守の作品で、「キル・ビル」のアニメ・パートを担当したプロダクションI.Gの制作。
 押井と宮崎駿が並び称されるのは、二人とも想像を絶する奇抜な世界を創造する極めて特異な個性を持つフォルマリスト(形式主義者)だからである。宮崎が大きな物をどれだけ視覚化するかにこだわっているのに対し、押井は細部をどれだけ視覚化するかにこだわった。空を飛び、下界を見下ろすことで広大な世界を描き出した宮崎と、瞳の中のディテールまでじっくりと描き込むことでミクロのダイナミズムを描き出した押井。二人は、ジャパニメーションを代表するまったく正反対の位置に君臨することになった。押井の映画は、わかりにくい映画ではあるが、あくまで娯楽志向に徹しており、ひとつひとつの細かいムーヴメントそれ自体が感動と興奮である。小さいところを突き詰めた作品ゆえに、ドラマの意味も小さいところに答えがあり、一度見ただけでは些細なギミックに気づかないかもしれないが、目がついていけないほどのその膨大な情報量は、一回限りの観客にも、おおいに満腹感を与えてくれることだろう。

耳をすませば
(スタジオジブリ・ブランド)
★★★1/2
 


 スタジオジブリ節が炸裂する究極のスタイル・アニメ。本作のストーリーは、ジブリというそれまで同社が培ってきた様式の中から自然と生じてきたもののようでさえあった。つまり、ジブリが、自ら伝統的な自分スタイルをここに誇示し、純粋にスタイルだけをもって一本の映画をでっちあげてしまったわけだが、この映画が最後まで見ていられることを思うと、内容を別としても、ジブリの様式がどれだけ手堅いものか、再認識させられる一本である。
 主人公二人が、図書館であれだけ沢山の大人向け文学を嗜みながら、少しも性的好奇心にかられないところなど、嘘みたいに清らかすぎて、普通なら「子供向け」で片づけられてしまいそうなところを、それがジブリなら平気で許せてしまう。これがジブリ・マジック。DVD

黄金の法
エル・カンターレの歴史観
(グループ・タック・ブランド)
★★1/2
 


 「まんが日本昔ばなし」「タッチ」のグループ・タック制作アニメ映画。
 この作品ほど、作業的に見せられている気がした作品も珍しい。一種のプロパガンダ・フィルムだろうから、そういう風に作られていても不思議じゃないかもしれない。この映画の、最も大きな欠点は、動機付けの不確かさである。僕は映画で一番大切なことは、観客に思わず「なるほど」と言わせられる何かがあることだと思っているのが、これには「なるほど」がない。主人公達はタイムマシンにのってさまざまな時代を旅することになるが、その時代その時代に行く理由が曖昧で、いまひとつ「やらなければ」という気持ちが伝わらないのである。事故がおきて不時着したりするあたりも、ご都合主義でストーリーを進行しているような気がするし、伏線も貧弱だ。盛り上がるためには、何事にも、盛り上がるための心理的動機付けが大事だということが、これを見て僕は勉強になった。

2004年3月29日