田中絹代 渡米フィルム発見
投げキス 鮮やかに

2003年1月20日(月)ハリウッド【毎日新聞】
田中絹代が1949年に日米親善大使として渡米し、ハリウッドなどを訪問した際に自ら撮影した16ミリフィルムがこのほど発見された。
田中は同年10月、毎日新聞社などが渡航費を負担して、芸能人として戦後初めて渡米した。途中ハワイで日系人団体から、16ミリカメラを寄贈された。ハリウッドでは、ベティ・デイビス、ジョーン・クロフォードら当時の大スターを表敬訪問し、50年1月帰国した。
帰国直後、田中は出迎えの市民らに、学んだばかりのハリウッド調メークで投げキスをしてあいさつをしたことで一斉に反発を買い、その後しばらく映画界でも雌伏を強いられた。このため訪米中の行動についてはほとんど明らかになっておらず、フィルムの存在は忘れられていた。
00年5月、映画監督の故小林正樹の親せき宅の倉庫でスチールケースに入ったフィルム11本、約2時間分を発見した。中には着物姿の田中が、戦争で傷ついたハワイの日系人を慰問し、戦没者墓地を訪れたり、日本人代表としてハリウッドスターと交歓する様子が記録されていた。

オレは記録映像にすごくひかれる。真実をありのままに撮影し、感動をそのまま鑑賞者に伝えるからだ。長いこと日の目をみることがなかった古いフィルムを見つけたことは、とても貴重な発見だ。オレは田中絹代さんのことをあまり知らなかったけれども、戦後間もないころ、笑顔をたやさず、一生懸命日米親善に尽くしていたことを知り、じーんときた。あのベティ・デイビスやクロフォードと交歓した大女優だ。すごい人じゃないか。
それなのに、田中さんが敗戦国日本に帰国して、アメリカ人の真似をして投げキッスしただけで、ひんしゅくを買ったなんて、可哀相だ。羽田空港を降りるとき、内心田中さんは、どういう心境だったのだろう。
戦後日本の心のありかたと、田中絹代という女優の偉大さを知る瞬間だ。