このコーナーで僕の敬愛するH・G・ウェルズの作品を紹介するのは3回目である。これは一般には子供だましとコケにされた映画だが、僕らSFヤローにとっちゃ聖典みたいなもの。この感動を皆さんと共有できないのが残念でならない。僕がここでいくら「好き」を連発したところで、想いが届かないのはわかってるけど、それでも気が済むまで「好き」と語りたい。
 これがSFヤローの心を揺さぶるのは、科学的な理論をくどいほど挙げていることだ。前後に動くのは一次元の移動。前後左右に動くのは二次元の移動。前後左右上下に動くのは三次元の移動。四次元の移動とは時間を過去から未来から行き来することである。キーワードは過去に行こうが未来に行こうが「空間は同じ」ということ。このキーワードが作品中しつこく出てくるが、これが思いがけないユーモアになったり、ときには行く手を遮る面白いカセとなる(ひとつのキーワードにこだわり続けることは、ウェルズの諸作品によく見られる特徴だ)。タイム・マシンが箱形の乗り物ではなく、車輪もついていない椅子というのも「空間は同じ」を強調する。「ドラえもん」のタイムマシーンは異次元のトンネルを移動する乗り物だった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は一瞬で行きたい時代にワープする車だった。ところが「タイム・マシン」は文字通り「時間軸を移動する」。この数学的なアイデアの妙。美しい花がものの数秒で咲いてはつぼみ、時計の針は猛スピードで回転する。昼と夜は激しい点滅で描かれる。時間旅行を映像表現すること自体が最大のギミックになっている。
 主人公に「なつく」未来人ウィーナ(ミミュー)のSF臭さもたまらない。小川のほとりで主人公とイチャつくシーンで、プラチナの髪をアップにしてみせる野性的で純真な表情は、すべてを投げ捨ててもいいくらい可愛い。僕は女優の趣味で映画の良し悪しを決めつけるような男ではないが、ミミューだけは別。彼女なしにこの映画の成功はあり得なかった。主人公が彼女のもとへと旅立っていくラストは最高にロマンチックであるが、それを直接見せるのではなく、主人公の相棒のセリフに任せるているのも男泣かせのニクイ演出である。鑑賞者にその後の主人公の「生活」を想像させる形で終わり、心地よい余韻を残している。
 

原題:The Time Machine
製作年:1959年
製作国:アメリカ
制作・監督:ジョージ・パル
出演:ロッド・テイラー、イヴェット・ミミュー
上映時間:102分
DVD

タイム・トラヴェル映画
「タイム・アフター・タイム」(79年/米)
「ある日どこかで」(80年/米)
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年/米)

※市販DVDには贅沢な映像特典付きだ。なんと、未来に旅だった主人公が現代に戻ってくるエピソードが収録してある。キャスティングもセットも本編撮影の時と同じ条件で、30年ぶりに実現した映像だ。主人公の行方が気になっていただけに、この続編は感慨深い。

2003年12月28日