ザ・コア

 パラマウント生誕90周年記念大作。というわけで、なんでこれをB級映画ラボで紹介するのかというと、これがあまりにも一般の評価が低いからだ。科学用語が色々出てきて、高尚な学術映画を装ってはいるが、基本的にはバリバリのエンターテイメント。「アルマゲドン」同様、そのいかにも偽善者的なヒロイズムが鼻につくということで、この手のタイプの映画を嫌う人たちが多すぎる。「長すぎる」「途中で寝た」「中身がない」「映像が安っぽい」「嘘っぽすぎる」などなど、非難を浴びせられて、可哀相な映画なのだ。
 僕はこの手のディザスター・ムービーが最も好きで、最初から最後までワクワクしながら見させてもらった。それは快感の連続だった。もともと僕は学校の授業では理科が一番好きだったので、「マントル」「核」という単語が出てきただけでもサイエンス魂を揺さぶられた。「週刊シネマガの管理人はSFの娯楽大作に甘い」と巷で非難されようが、僕は構わない。たしかれにこれは臭いほどに定石通りの展開で、事がうまく運びすぎだが、僕がこの手の映画を好きという思いは本当のことだし、この手の映画を心から素直に楽しめる自分を誇りにも思う。堂々とこれを大傑作と言ってやろう。
 事実、これはとても練られていて巧妙な作りになっているではないか。最初バタバタと人間が倒れるところは「アンドロメダ・・・」のように摩訶不思議であるし、鳥が狂い出すところはヒッチコックの「鳥」並に怖い。ローマの雷や、サンフランシスコの太陽風など、60年代のスペクタクルとは比べ物にならないほど凄まじく、見応えたっぷりである。
 面白いのは地球の中心まで潜っていく乗り物。姿形からしてかっこいい。レーザーで穴を掘るところからして無茶苦茶だが、嘘っぽくてもいっこうに構わない。「スター・トレック」のテレポーテーションにだって理屈などはないのだし、リアリティなどは問題ではなく、地球の中心まで潜っていくという発想が科学ロマンなんだからこれで良いのだ。乗り物を「バージル」と愛称で呼ぶところからして僕は好きである。
 地下もまたひとつの宇宙世界。ミクロの世界を宇宙に例えた「ミクロの決死圏」はあの時代だからこそ名作として名を残したが、「ザ・コア」はこの時代に作られたからこそ不利な立場に立たされているが、その発想は「ミクロの決死圏」と並べてみれば、決して劣ることはない。
 地下の映像は、まるで遊園地のアトラクションみたいにチャチな映像である。まわりはすべて壁のはずなのに、まるで空中を走っているように見える。とても潜っているようには見えず、地球規模の巨大さを感じさせるにはやや技術不足という感じもしたが、緊迫感を遠景から伝えるためには、マントルなど地中のすべての壁を透視して見せたのは苦肉の策だったのであろう。
 「仕事と結婚したよ。妻は愛人だ。お陰で妻との愛も続いている」、「地球の中心はチーズかもしれない。科学とはあらゆる可能性を疑うことだ」、「リーダーに必要なものは責任能力だ。責任というものは不本意な決断をするときにのしかかってくる。君は常に勝ってきた。負けを知っていなければリーダーにはなれない」など、セリフもかなり興味深いものばかり。これぞいかにもヒーロー映画チックのセリフといわんばかりだが、そこがまた惚れ惚れするほどかっこよかったりもする。
 掘り出し物は女優のヒラリー・スワンク。少年漫画的なお姉さん役だ。この子が本当に可愛くて可愛くて。きゃしゃで、口元が色っぽい。これはヒラリー・スワンク目当てで見ても価値のある映画だと断言できるくらいだ。恋愛映画の要素はないが、しかしところどころでほんの嫌味にならない程度ほのめかしてある。このほのめかしぶりが絶妙で、不器用な主人公の男性ともうまくやっていけそうな予感を抱かせる。主人公がネクタイを締められず、ヒラリー・スワンクの手で締めてもらうシーンがさりげなくて最高に素敵。いいなぁ。最後、二人きりで海中に取り残されたとき、助かる見込みもないのに、お互いに笑顔で、なんだかとても幸せそうな感じさえあった。
 

ザ・コア

製作年:2003年・アメリカ
原題:The Core(核)
監督:ジョン・アミエル
出演:アーロン・エッカート、ヒラリー・スワンク、スタンリー・トゥッチ、デルロイ・リンド、チェッキー・カリョ、ブルース・グリーンウッド、アルフレ・ウッダード
上映時間:134分
「ザ・コア」DVD


地球の危機!
「ディープ・インパクト」(98年/米)
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2005年11月26日